11月活動報告~えーちゃん~

今回の活動は2日に高砂復興支援センターの所長だった浅見健一さんという人の勉強会に参加し、3日に前回も行った県内の仮設住宅を回るという日程でした。

往路はメンバーの車に相乗りさせてもらいましたが、朝6時半に新取手を出発するというので4時に起きて始発電車で集合場所に向かいました。

普段も仕事に行く時は5時半頃の電車なので早起きには慣れているものの、この時間はさすがに初めてでした

道路は空いていて、12時過ぎには宮城県入り。そこで早めの昼食をとって高砂復興支援センターに到着。

以下他のメンバーと同じような写真になってしまいますが、独自視点て撮った写真を載せるのでしばしお付き合いください。

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センター近くの橋より。高さは10m以上あるものの、浅見さんの話によると震災当日はこの橋の橋脚の高さぎりぎりの所まで津波が襲ったらしいです。

現在のこの場所にはあまり津波のこん跡は残っていませんが、当日の映像を見せてもらうと本当にぎりぎりのところまで水が来ていたのが分かりました。

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更に沿岸部へ進むと、小学校跡地だというところへ案内されました。

ここでは一度学校の屋上へ避難したのに、友達や知り合いを迎えに降りて行った女性が大勢犠牲になったらしく、既に校舎は解体されています。

「津波てんでんこ」という言葉があります。

津波が来たら他人になど構うな。

生き残りたければ散り散りになっても自分一人で逃げろ。という意味です。

実際にそれを実行した人は多く助かっているようですが、流される人を見てしまうとそれがトラウマになっていることも多いと思われます。

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建設ラッシュの象徴とも言えるリープヘルの「トンボクレーン」が林立するこの場所は、大型の下水処理場が建設されています。

この処理場が完成すると、排熱を利用して温室栽培を行うモデル事業が始まることが決まっているそうです。

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北側は仙台港。

このあたりは瓦礫も片付き、だんだんと具体的な復興事業の見通しが立ってきたように見えます。

左側には製鉄所の電炉があります。


この日は前回もお世話になったゲストハウス梅鉢に宿泊しましたが、4時起きと勉強会の疲れによりすぐ寝てしまいました。


二日目は以前もお世話になった仮設住宅の集会所で足湯の活動を行ったものの、なかなか人が来てくれません。

この日は文化の日だったため、公民館でイベントが開かれて皆そちらへ足を運んでいたようでした。

ちょうどイベントの時間が我々の活動時間と重なったため、こちらへはあまり来てもらえなかったようです。

ただ今回はあまり忙しくなかったため、来てくれた人とはじっくりお話できたのが良かった点です。

子供が来てくれた時のために落書きや折り紙ができるように部屋を用意していたのが活用できなかったのが残念なところでした。


個人的な感想としては、「被災地の綺麗事では済まない事」が今回の活動でずいぶん見えてきました。

報道では専ら美談や慈善活動の話ばかりが取り上げられますが、現実の被災地はそのような美談ばかりではありません。

むしろ人間の現金な姿が露骨に表れる、ドロドロしたことが現実に起きています。

しかしそういう話は現地で直に聴かないと知る機会がないし、実感もしません。

ただ浅見さんの人柄からも分かるように、現地の人との信頼は何よりも強い武器となります。

被災地には色々な力が働き、本来できるはずの活動が妨げられたりもしますが、どんな力が働こうが現地の人に信頼されていることは覆せないのです。


で、最後は楽天の試合を観に行きましたが、それは他メンバーに譲ります。

ここで特筆するとすれば、他の人が熱くなればなるほど自分は冷静になってゆくんだということを実感したことくらいです。

仙台市での再会&もう一つの仙台市~2013年11月2日~

それは、2012年3月上旬のことでした。

海外青年協力隊でケニア・マリンディに赴任している、Facebook友達の岸さんから、日本とケニア・マリンディの児童厚生施設をスカイプ中継でつないで、オンタイムで、東日本大震災から1年の節目に「双方向哀悼会」を開催できないものかという話になりました。


東日本大震災から1年 浅見健一さんのメッセージはここをクリック(横向きですみません)

その時のケニアの様子はここをクリック


高砂市民センターの雰囲気はここをクリック


それまでの宮城県各地や福島県の町のT4での活動で「1年目は静かに過ごしたい」という声を非常に多く聞いてきたので、果たして実現可能かどうかをとにかく吟味しました。

T4の活動ポイントになっている地区は候補から外す。

では、T4の活動ポイントにはなっていないけれども、比較的、町全体が落ち着きを見せているのはどこになるのか?

田舎町が候補から外れていったことは想像にたやすいと思います。

いくつか候補の町はありましたが、人と人とのコミュニティが良くなるところに重きを置き。

いつもT4がステイさせていただく仙台市の宿のオーナーに相談。

若いオーナーは、町のコミュニティが少しでも良くなるようにと尽力されていたりしたこともあって、東日本大震災直後「非指定避難所」とならざるを得ず、行政から早急な支援を受けられないまま避難所として発進した「仙台市高砂市民センター」の旧浅見健一館長さんを紹介していただきました。

当時、日本に住む誰もが、小学校・中学校・体育館といった公的施設でまかなえないほどの被害が発生する大規模災害を想定していませんでした。

仙台市高砂市民センターさんは、行政が指定していた公的避難所に該当しなかったため、未曽有の被害を出した東日本大震災直後に、1200人以上の方々が避難に訪れても「公的支援」を受けることが出来ませんでした。

毛布、衣類、飲食料・・・そういったすべての支援を受けることが出来なかったのですね=行政や国が柔軟に対応できるノウハウが当時はなかったのです。

では、1200人以上の方々に「ここは公的避難所ではないから帰ってください」と、あの時、誰が言うことが出来たでしょうか。

旧館長だった浅見さんは「自分の命に代えてもみなさんをお守りします!」1200人以上の方々の前で、こう宣言されました。

先日の再会で「なぁんで、あんな責任重大なこと言ったんだろうなー(苦笑)。今考えても、よくわからんのだよ(笑)」とおっしゃっていました。

無責任で結果オーライだったという雰囲気は微塵もなく、逆に、大役を果たすことが出来たのは「協力してくれた全国各地の方々と避難していたみんなの協力のおかげだから」といった謙虚さや真摯さを感じさせるつぶやきでした。

わたしは、震災から2週間後に、資格者であることやボランティア経験が長かったことなどとリクエストがマッチしたので、公的避難所の高齢者の方々のお手伝いに伺うことがありました。

公的避難所は小学校でしたが、保健室の先生が、みなさんの頼りだったことが非常に印象強く残っています。

飲食は国から届いていましたが、毎日変わり映えしない保存のきくメニューだったため、食事制限のある方々は不安を強く持っていたことや、電気もまだ戻らない中、食すら楽しむことも出来ず、自宅は黄色旗や赤旗が貼られてしまったため薬を取りにいくことも出来ない不安の中で、本当に手を握ってくれる人たちが必要でした。

「県外から来たボランティアなんて嫌だわ!!!何しに来たのよ!!!わたしは県外ボランティアさんなんかに気を遣うつもりなんてないから!!!」そう言われたことも一度や二度ではなかったですね。

でも、それで正しいのです。

思っていることを、八つ当たりでもいいから言えること、言える相手がいることが、きっといつか何か良い方向に向かったはずです。

じっと耐えて耐えて苦しんでばかりいては、長い将来、良くないですからね。

浅見さんが運営された私設避難所は、集まったみんなが、当番を必ず何かすること・喫煙は敷地内ではしないこと・仕切りを作らないことがルールでした。

仕切りを作らないというのは、消防出身だった浅見さんだからこその発案です。

人の命を守ることと、プライバシーを守ること、どちらが大切か。

狭い避難所では、高齢者の方々は寝たきり・動かなさすぎになりがちです。

そうしていると、血栓が出来てしまい、心臓他に飛んでしまい、最悪、死に至ることがあります。

プライバシー、プライバシー、プライバシー・・・あの頃、本当に報道で避難所の様子が映るたびに言われていましたが。

仕切りを作って、プライバシーに配慮した避難所もありましたが。

浅見さんの避難所では、一貫して「仕切りをつくらない」ことにより、血栓が飛んでしまった方の発見が非常に早期に行われ、早期に救急搬送されたため、大事に至ることはありませんでした。

かたや、他市の公的避難所にいて、他県からかけつけた災害派遣ドクターの往診で「今すぐ救急搬送」を言いわたされ「どうして?自分はこんなに元気なのに?」と災害派遣ドクターを疑いながら救急車に乗っていると、どんどん具合が悪くなり意識もなくなり、後で、血栓が飛んでいて危ないところだったと搬送された病院の先生から聞いたという方にも出会いました。

あの時のお医者さんに、本当にありがとうと言いたい、あの時お医者さんがああしてくれなかったらわたしは死んでいた・・・号泣されていました。

蛇の道は蛇。

今後の「避難所」のあり方が、果たして、国が基準としているもののままで良いのかどうか、もう少し工夫をし直してみる必要があるように思います。

ドクターや消防・救急の意見がどこまで反映されているのか、不安材料が残ります。

ある避難所で、着替えボックスを見ました。

そういったものを利用することによって、着替え時の配慮は出来ることでしょう。

子どもたちの勉強部屋を時間帯を決めて設けている避難所もありました。

あとは、人命優先・衛生優先であったりしてもよいように感じます。

工夫さえすれば出来ないことではないのではないでしょうか。

浅見さんの私設避難所では、みんなで当番制とか、敷地内禁煙、仕切りを作らないといったルールを守れない方には、他の避難所を紹介し、申し訳ないけれどもと一貫して移転していただいたそうです。

そうして、みんなで、毛布や市民センターの幕を使って暖を取り、譲り合い、足りないものは浅見さんの「人的コミュニティー」と「地場の企業さんへの声掛け」で集めることが出来ました。

それだけではなく、この避難所が落ち着いた後は、他市町村の避難所にも物資を分けて助け合ったそうです。

1日3食、カレーライスなどのしっかりした食事をとることも出来ました。

公的避難所とは大きな違いです。

「何が命にとって大切なことなのか」

それを追求するためのルールと、ルールを守るみんな、浅見さんの人望や地場でのコミュニティの強靭さが、1200名以上の方々の命を守ったのですね。

浅見さんが決して優遇されていたとかではありません。

彼も、親族や地元仙台市や近辺での仲間たち50人以上の方々を津波で失いました。

自宅も津波で被害に遭いました。

「自分も被災者なんだから」なんて決して言わず「町のみんなの命を守るんだ」それしか彼の心のど真ん中にはありませんでした。

わたしたちは、東日本大震災から何を学ぶべきだったろうか。

ボランティアセンターのあり方でもなく、ボランティアの一元化???とかよくわからないことでもなく。


災害時に、どれだけ、地場のみんなで、家族で、思いやり、助け合い、みんなでお互いの命を守れるか


ではなかったのだろうか。


東日本大震災で被災された方々にお話を聞いてみると。


何か起きた時に、家族と連絡が取れなくなったらどうするのか?をよく話し合っておいてほしい


地場のことは地場の人にしかわからないこともある、地場の企業と地場の高齢者、若い世代、子どもたちみんなで、これからのことを考えていかなくては



そんな言葉が数多く聞かれます。

ボランティアにああしてほしい、こうしてほしいといった細かいリクエストは今はもうなくて。

でも、全国のみなさんに「家族を大切にすること」を伝えたい・地場のみんなで協力し合う姿勢を模索しながら大切にすることを伝え継いでいきたい

のですね。

地場のみんなだけでは少し足りないなといったところ・・・たとえば、今、浅見さんが全国各地・海外からも講演会や取材で日々のスケジュールがいっぱいな中、沿岸部で地震などがおこる可能性のある地区に救命胴衣(子ども用)を寄贈するなどの活動を、全国の心ある企業さんやボランティアさんにお手伝いいただけないか?というような・・・ところをお手伝い出来るような「わたしたち」でいる必要があるように感じました。


震災からしばらくして、出逢ったある方がこうおっしゃられたことを今も忘れることが出来ません。


「ボランティアさん?

それともテレビ局?

よくわからない金儲けの人かね?

災害が起きるのを待っていましたと言わんばかりに来る。

そして、次の災害が来るのをまるで待っているかのような言葉も耳にする。

向こうにはそんな気がないのかもしれんが、2次災害とかやらのためにとかね、俺たちだってわかっててどうしようって考えているのにな、よその人からああでもないこうでもない、親しげに言われてな、本当は、もう嫌なんだよ。

ボランティアたちがここで暮らしていくわけじゃない。

俺たちが暮らしていくんだよ、辛くったってさ。

ボランティアなんかいなくたって、この町は復興するんだから!」



わたしたちボランティアには踏み入ってはいけな領域があることを、決して忘れてはいけないと思い出させてくれた浅見さんとの再会でした。


浅見さんとの具体的な1日は、メンバーたちが報告や感想を書いてくれると思うので、わたしからは、こんな感じで大局的に東日本大震災から学ぶことを少し書かせていただきました。


どんな様子だったのかだけ、まずは簡単に写真で綴ってみたいと思います。


浅見さん1


この川を津波が逆流・越水し、仙台市内の被害が大きくなりました


七北田川1


橋の下です。ここは津波の水の高さが人の身長よりも上回りました。


オーナーから学ぶ


ここには小学校があり、津波警報を聞いたみなさんが避難していました。


小学校1


ほとんどの方々は命を落とされることなく2Fや屋上に避難していましたが。

命を落とされた方々は。

「あー!〇〇ちゃんママだわーーー!!!」

「△△ちゃんママ!!!今、下に迎えに行くから待っててね!!!」

ここのタイムロスが辛い辛い結果になってしまったのだそうです。

「どうか、〇〇ちゃんママ!△△ちゃんママ!と知り合いを見つけたら、下に迎えに行ったり、上にいるお友達を待ってホッとしたりせずに、とにもかくにも上に上がるような言葉掛をお互いにしてほしい」

浅見さんが、そうおっしゃられていました。


小学校2


蒲生周辺2


わたしやT4が2011年5月にボランティアにお伺いした地区です。

仙台市沿岸部は、復旧工事が早くから始まったので、一般ボランティアが入ることが出来なくなっている箇所がほとんど。

浅見さんにご案内していただけなければ、どうなっただろうかと心配し続けていたと思います。

あれから変わらない風景も目の当たりにしましたが、ちゃんと理由がありました。


蒲生周辺1


査定を待っているんですね。

復旧や復興が遅れているということでは決してない。

津波被害に遭遇した土地では「今後、住めるのか否か」を住民と行政の根気強い話し合いなどによって継続的に行われたりしています。

その結果を待って・・・という家主さんや地主さんも少なくないためといった意味があるんですね。

あの頃のままだと悲しむだけではいけません。

「どうしてそうなっているのかな?」と考え、「地場の方から教わること」がとても大切です。


蒲生周辺3


蒲生周辺4


元々は生活用品他であったものも、分別されています。

少しではあるかもしれませんが、こうして、1歩ずつ復旧や復興は進んでいます。


蒲生周辺5


日和山・・・残念ながら、津波被害の為、山がなくなってしまいました。


日和山1


2ヶ所に防潮堤を作っている最中だと浅見さんが教えてくださっています。


日和山3


日和山2


わかるでしょうか?屋根に近い壁(白)に茶色の横線があります。ここが、津波到達した高さです。


我妻邸 津波到達線


Wさんのお宅は1階が津波で浸水被害に遭いました。

浅見さんが屋根瓦を直してくれたり、浅見さん・Wさんの地域の仲間たちがみんなで修繕に駆けつけてくれたりしたそうです。

廊下のクッションフロアは、浅見さんが協力してくれたとのこと。

あとは、とにかくWさんがひたすらコツコツとがんばられたのだそうです。

津波被害に遭われたとは思えない復活ぶりです!


地域コミュニティで復旧した我妻邸


我妻さん


我妻さん2


1階も住めるようになり、居間には、たくさんの「家族の笑顔の写真」が所狭しと並んでいました。

Wさんの奥さんが楽しんでいらっしゃるようです。

しかしながら、「危険指定区域」の認定を受けて、このお宅から、近からず遠からず離れなくてはいけないとのこと。


我妻さん奥さま


あの日、生まれて1ヶ月だったひーくんも、2歳半を過ぎてプラレールが大好き!

ひーくんが「のぞみ」や「こまち」で遊んでいるお部屋には、先祖代々のみなさまのお写真が並びます。

Wさんの本家なのですね。

先祖代々の本家だから、これしきのことで!とWさんがひたすら地道にコツコツと修繕されたこのお宅に住めなくなってしまう。。。

きっと先祖代々のみなさんは許してくれると思いますが、Wさんのお気持ちはいかばかりかと思うと。。。

ひーくんの無邪気さと天真爛漫さが灯りをともしてくれるようです。


ひかるくん1


ひかるくん2


ひーくんも「あちゃみちゃん♪あちゃみちゃん♪」と言うほど、浅見さんのことが大好き!

みんなで記念に撮影しました。

少しぼやけてしまったのですが、みんなに、これからも良いことがありますように☆


みんなで1


宿についてからは、近所のみなさんや、宿泊客のみなさん、わたしたち、オーナーやスタッフさんたちと一緒に。

楽天応援大会!!!

Wさんも浅見さんも、みんな、楽天優勝をワクワクドキドキ楽しみにされていました!!!

みんなで楽しもう!!!

お家を失わなかった人が遠慮する必要がない。

仕事を失わなかった人も遠慮する必要がない。

仮設住宅で夏は暑く冬は寒い生活をしているみんなも大手をふるって楽しんでいい。

そんな機会が、震災後、本当に少なかったと思う。

みんなで一緒にこんなに楽しめるって、本当にかけがえのない素敵なことですね☆

「スポーツの力」の大きさの凄さを、本当に心からひしひしと感じたのでありました。


みんなで2

10/27(日) 伊豆大島災害ボランティアや「細く長く」なボランティアさん同士のランチ交流会&勉強会<議事録>

こんにちは。TEAM4Uのちえです。

ボランティアさん同士の交流会&勉強会は、10月19日(土)に第1回目、そして10月27日(日)に第2回目を開催しました。
第2回目は8人での開催になり前回よりも小規模でしたが、第1回目同様、たくさんのことを学び共有できました。

冒頭、代表である竹田から東日本大震災からのTEAM4Uの活動について、どのような経緯・想いで始めたのか、そしてその活動から学んできたことはたくさんあるが、今回の伊豆大島の災害現場は必ずしも東日本の被災地と一緒ではない、でも活かせることはたくさんあるよね、ということで、実際にボランティアへ入る際のポイントを皆さんで確認しました。

まず力系ボランティアに必須の装備、どんな作業があって、どこに注意したらよいのかということについて、今回の勉強会参加者の方で、実際に力系ボランティアとして経験豊富な方々から貴重なお話を伺いました。

そして島のコミュニティの特徴や全般的な情報について、島での生活を経験したことがある方々からたくさん伺うことができました。島内での移動手段やトイレのこと、お店や宿のことなどもかなり詳細に情報共有できました。
そして島に入るとしてもかなりチケットが取りにくくなっていること、そしてそれによって島の親族の方や病気の関係で島と本土を行き来しなくてはならないような方々が、チケットを取れない…というようなことが起こってはまずい、島に行くことになっても人数には気を付けたい、という話もありました。

そんな中で参加者の方が、これから島の皆さんが自分たちで何とかしようとしているとき、そこに寄り添っていけるような活動ができたら、というお話されていたのが印象的でした。

確かに、寄り添うって難しいと思います。自分のことを考えても、身近にいて良く知っている人が何か困っているとき、今その人に対してわたしがどうすることが一番良いのだろう?と考えてもなかなか答えはわかりません。
けど、わからないから何もしない、できない、ではなく、また逆にとりあえずやってみる、でもなく、今島の人たちにとって自分がどうすることが一番よいのだろう?とわからないなりに考え、冷静に情報を集めて判断することが大事なんじゃないかな、とわたしはこの2回の勉強会を通じて学びました。

あれ、議事録がわたしの感想になっている?しかし、恥ずかしながら第1回&第2回の勉強会で、一番勉強させてもらったのが自分ではないかと密かに…、あ、もうばらしちゃいましたが、思っております。それもこれも参加者の皆々様のおかげです。
本当にお忙しい中、お時間を割いてご参加頂きありがとうございました!!

復興支援ボランティアさん募集~2013年11月・宮城県~

災害・復興支援個人ボランティア「TEAM 4 U」にて、下記概要でボランティアさんの募集です。


日帰り参加可能な宮城県での復興支援ボランティアです!!!


お友達同士・ご夫婦同士・彼氏さん&彼女さん同士も大歓迎です♪

(小学生以上のキッズさんと一緒の親子ボランティアさんも大歓迎ですが、お子さんの年齢・身長やアレルギー他の持病がないかどうかだけは確認させてください)


ご参加いただけるみなさまや、ご質問&ご相談は。


TEAM 4 U メールフォームをクリックして必要項目をご入力の上、送信してください♪


☆☆☆ 10月19日(土)夜 または 10月20日(日)16:00位~ 事前ミーティング&交流会を都内にて開催予定です(これに参加出来なくても、活動にご参加いただけます!) ☆☆☆


<ボランティア保険天災型加入について>

キッズから大人の方々まで、みなさん、ボランティア保険に加入していただくことになりますが、TEAM 4 U一括申請加入が可能ですので、平日に地元社会福祉協議会さんに行っていただかなくても大丈夫ですし、ご自身の地元社会福祉協議会さんで加入を済ませていただいても大丈夫です(天災A ¥420 以上…数十円値上げがあったような記憶がなきにしもあらずで、以上にさせていただきました…にご加入お願いします)



①Web系開発技術者さん(HTML CSS)…都内や自宅で出来る無償ボランティアが山積しています…大歓迎です! (ボランティア保険加入は必要ありません)


②津波被害甚大地区のいちご農園でのいちご栽培ボランティアさん(11月3日(日))


☆いちごの実に栄養が行き渡るよう不要な葉の剪定をしたりするといった活動で、立ち作業にはなりますが、女性にも優しい作業になります☆


参考までに、↓をクリックしていただくと、どんな雰囲気でボランティアするのかわかるかな?と思います(動画の中では、葉の剪定作業ではなく、その前段階の苗をポットに入れる作業をしています)。


③の雰囲気も少し見ていただけると思います。


いちご農園さんボランティアってこんな感じ♪


TEAM 4 U HP YouTube 特集☆


定員:メンズ2名・女性2名 計4名


※関東以南より寒さが強くなりますので、心身ともにすこやかなみなさま※

(キッズボランティアさんたちは注意が必要なので、無理が来ないよう保護者のみなさんとメール他で打ち合わせしましょう)


※資格や農業体験は必要なく、いつか被災地で何かお手伝いが出来ればと思っていたみなさま、よろしくお願いします!


※栽培お手伝いをしたいちごちゃんは、晩秋以降には実が実り、市場に出ます!


※20歳以上~
(未成年の方は保護者の方の同意が必要になります・親子ボランティアさんはご一報ください)


※性別や農業体験の有無・年齢は問いません
(キッズのみんなは、保護者の方より身長他をお聞かせください)


※日常的に車の運転が可能な方、お待ちしています!
(運転のみのボランティアさんは、現時点でT4では受付ていません)


③津波被害甚大地区の仮設住宅コミュニティスペース他での、足湯を通したリラックスづくりボランティア(11月3日(日))


※病院他により足湯を緩和ケアとして取り入れているように、腰痛や肩こり、頭痛などをお持ちの仮設住宅にお住まいのみなさん始め、慣れない仮設住宅でのストレスをリラックスしたい高齢ではない世代も、足湯を本当に楽しみにされており待っています!


☆荷積み・荷下ろし&運び・足湯準備・お湯づくり・お茶出し準備・足湯・お茶出し・お話の聞き役・必要な方々への介助・片付け他☆


定員:メンズ2名・女性2名 計4名

内、看護系・福祉系資格者または勉強中の方1名以上いてくださると助かります



※20歳以上~40代の方位まで
(キッズのみんなはご相談ください。未成年の方は保護者の方の同意が必要になります)


※性別や経験は問いません


※日常的に車の運転が可能な方、お待ちしています!
(運転のみのボランティアさんは、現時点でT4では受付ていません)


※屋内活動にはなりますが給湯室とコミュニティスペース他間の移動多数(意外と重い物を何回も運び往復します)が発生したり、キッズと外遊びをする可能性もありますので、心身ともにすこやかなみなさま


※看護系・福祉系・理学療法士系資格をお持ちの方(現役でなくても大丈夫ですし、勉強中のみなさんでも大丈夫です)、ぜひよろしくお願いいたします


・看護系・福祉系・理学療法士系資格者さん・勉強中の方の役割→

処置に追われる活動メインではありませんが、足湯前に最近の血圧はどうか?風邪は引いていないか(発熱有無チェック)?アレルギー他はないかなどのヒアリングをしながら血圧測定をしていだいたり、移動に介助が必要になるみなさんのADLの自立やリハビリといった観点も踏まえながら介助やお話の聞き役をしたり、介助者さんのお話の聞き役となってリラックスしていただくようになります。


※資格の有無を問わず、足湯の間は、どんなお話をされても大丈夫です。

ヒソヒソ話(笑)をしてみても大丈夫ですし、世間話や笑い話をしても大丈夫です。

〇〇県から来ましたー♪だけでも、親戚や友達が住んでいたとか、旅行に行ったことがあるとか、そういった話に広がったりすることもあります。

もし、認知症気味の方がいらして、演歌が大好きな方だったら、一緒に演歌を歌うのでも大丈夫です!

「みなさんのアイドルがやってきましたよー」とかでも大丈夫です(笑)。

悩みがあったら打ち明けて、相談に乗ってもらうのでもいいんです!

みなさんが抱えているハンディキャップにより、こちらが一生懸命話しかけても笑ってもらえないとか、言葉での会話が出来ないとかがあると思います。

それでも、病気のために笑う表情を出すことが出来なかったり、言葉での会話が出来ない等なだけであって、ボランティアのみんなが来て、足湯をしてリラックスしたり、ボランティアが自分に話をしてくれたことは、みなさん必ず嬉しいし、みなさんの明日への活力につながります。

手をつなぐだけでもいいんです♪

震災の時の辛かったことや苦労話をしながら涙される方々がいたら、一緒に泣いてもいいんです。

武勇伝を話される方もいるかもしれません☆

わたしたちボランティアが、そばにいますよ♪という気持ちを持っていること!

これが本当に大切です。

勝手がわからず不安な時や困った時は、どんなに忙しそうにしていても、先輩ボランティアさんたちに、すぐに相談してくださいね☆

お湯がなければ足湯もお茶も始まりません。

人見知りがあるから不安…大丈夫です!

お湯を作ったり、お茶を用意したり、すごく小さなことかもしれないですけど、とっても大切なボランティアがたくさんあります!

片付けをしなければ「ボランティアさんが来るのはもう嫌だ」となりかねません。

すごく小さなことのように思えるかもしれませんが、働いているスタッフさんたちは、震災直後から休みも取らず、家庭のことより仕事を優先して、がんばって頑張ってガンバッテ来た方々ばかりです。

片付けをも一生懸命やるボランティアの姿勢があれば、良い風が吹くことでしょう。


T4は個性尊重なのでまとまりがないこと多々ですが(笑)、心身ともにすこやかな方であれば、自分らしさを生かして活動していただけます!


【被災地社会福祉協議会さん他との連携・各地域のみなさまのお気持ちを最優先しているので、地域他詳細はオフィシャルで情報をリリースせず、メッセージをいただいてからお伝えすることになります】


<タイムスケジュールモデル>

【11月3日】

朝8:00までに、全員仙台駅到着・レンタカーへの荷積み



※深夜バスで仙台に向かう方、三連休のため渋滞の可能性があります。
関東圏から2~3時間程度余裕をもって、爆睡して身体を大切にしてきてください。


※早朝新幹線で仙台に向かう方、全席指定席便が非常に多く、自由席のある便も乗車率100%越えの満席も予測されるため、早めに指定席予約をして体力を温存する他のご注意をお願いいたします。


※昼食・スポーツドリンク・水は、仙台駅コンビニ他で各自購入しておいてください。


※寒さと乾燥から活動後に風邪を引いてしまうことも予想されるので、活動中はこまめに休憩や水分を取り、防寒対策をしましょう(仮設住宅のコミュニティスペースにはエアコンがありますが、かなり冷えます)。


※いちご栽培ボランティアのやり方は、農園のファミリーのみなさんが楽しく教えてくださいます☆


8:20:仙台駅レンタカー店を出発

9:20:最寄コンビニ到着(休憩・トイレ)

9:35:いちご農園組と仮設住宅組に別れて出発

10:00:いちご農園または仮設住宅到着・活動開始または準備開始

10:30:仮設住宅組 活動開始

12:00頃:昼食休憩 (仮設住宅組は、状況により、交代でお昼休憩を取ることになります)

13:00頃:活動再開

15:00:仮設住宅組活動終了・片付け

15:30:仮設住宅組 復興支援センターへ活動報告

15:45:いちご農園にて農園組と合流・いちご農園さんでご挨拶

16:15頃:出発→最寄コンビニ(トイレ他休憩)

16:45頃:仙台駅に向けて出発

18:00頃:レンタカー返却


18:30頃:打ち上げ牛タン夕飯会♪→解散

新幹線や深夜バス・お土産購入など、ご自身のご都合や間に合わせてご参加ください


※牛タン夕飯会の夕飯代は、飲食費予算に入っていますが、アルコール代やおつまみ代は予算モデルに含まれていません。


※仙台駅からご自宅への復路は、渋滞の予測が非常に困難なこと・現地のみなさんが暖かくお話がついつい盛り上がったりすることもあるため、時間に余裕をもって予約していただけると大変助かります。

何卒ご容赦お願いいたします。


<首都圏からの費用モデル>

1.往復交通費:


首都圏から往復深夜高速バス利用→12000円 で見積


首都圏から往路深夜バス・帰路新幹線利用→17000円 で見積


首都圏から往復新幹線利用→22000円 で見積


※体力や仕事、お小遣いに合わせて選んでいただいて大丈夫ですが、往路に高速バスを使う方は渋滞を踏まえていただき、新幹線を利用される方は帰省ラッシュ&全席指定便が多数の為早めに予約をするようにしてください


2.活動中の飲食代・おやつ代 → 3食分として4000円程度 で見積


※深夜バスや早朝新幹線で出発すると、活動前位に小腹がすくので、乗車中やバスの休憩で何か食せる物をゲットしておいてくださいね♪


※お昼を食べても、活動後の夕方に小腹が空いている場合があるので、おやつ代も適当に見込んであります


※飲食費には個人差があると思いますが、牛タン打ち上げ会の相場代、コンビニ他で各自が購入する朝食や昼食代、栄養ドリンクやコーヒー代、活動時緊急災害時のため賞味期限他が大丈夫なおやつ・飲料必須として、2011年からの経験でザックリと予算組しています。

※アルコール代やお土産代は予算に入れていません(^_^;)


4.レンタカー代・ガソリン代・高速代等の割り勘:4700円程度(集まる人数により変動がありますが、高くなることはありません)で見積


合計費用モデル(首都圏から):


往復高速バスの方 → 20500円程度+新宿駅や東京駅、横浜駅他バス停⇔自宅往復交通費


片道高速バス・片道新幹線の方 → 25500円程度+新宿駅や東京駅、横浜駅他バス停⇔自宅片道交通費


往復新幹線の方 → 30500円程度 +新宿駅や東京駅、横浜駅他バス停⇔自宅片道交通費



※活動中の緊急災害時を想定して、お小遣いは多めに現金でご用意ください。

8月の活動報告~ちえ~

GWの活動に引き続き、8月の活動にも参加させて頂きました。

初日にはいちご農園さんのお手伝いです。

初めてのお手伝いで、普段、デスクワーク中心のわたしにも務まるか緊張でしたが、受け入れて下さる農園の皆さんが、ボランティア参加者の体調ですとか、活動しやすいようにと色々と配慮して下さったおかげで問題なくこなすことができました。

そしてそんな農園の皆さんの様子を見て、ボランティアを受け入れるということは単に来てもらって活動してもらう、というわけには全然いかない、もっとエネルギーの使う大変なことなんだと改めて感じました。
だからこそ、ありささんが常に受け入れてくれる側への配慮を怠らないんだなあと、そしてそれがあって初めて長く続く、そして活動として意味のあるものにできるんじゃないかということを実感しました。

お互いに気遣える、なかなか出来ることではないですが、まずは自分から相手の立場を気遣っていくことがきっとスタートになる。それはきっとボランティアにおいてだけでなく、日常のどんな場面でも大切なことですよね。

2日目には福祉仮設住宅での足湯の活動です。

印象に残っているのは笑顔の素敵なおばあちゃんで、お元気な様子でしたが、震災前の自宅では自分一人でお風呂に入れていたけど、いまはお風呂の設備が自宅と違ってスタッフさんの介助がないと入れなくてね…とお話して下さいました。
その環境の変化へのストレスは大変なものだと思いますが、その方はいつも笑顔でこの施設の人気者なんですよ、ということもスタッフさんから伺いました。

けれどその後に社協の方から、ここはあくまで「仮設」のものであって、いつか出て行かなきゃならないが、行き先を確保できるか不安に感じている方も多い、というお話を聞きました。
あのおばあちゃんもかつての自宅ならきっと問題なく過ごせていたのだと思いますが、この先どういったところで生活していくことになるのか、それが見えないことへの不安を思うと、わたしには終始笑顔で接してくれましたが、きっとお辛いことも多いのではないかと改めて気付かされました。

やはり現地でいろんな方からいろんなお話を伺ってようやく見えてくるものがあり、様々な課題、問題はまだまだ山積みだということ、そして日々生活していくご苦労はやはりわたしの想像を超えるものだということを感じましたが、本当にちょっとしたことでも自分に出来ることでその大変さをわずかでも軽減できるような、そうした活動を長く続けたいいと思いました。

今回も現地でお会いしお話して下さった皆さん、私たちの活動を受け入れて下さった皆さん、そして一緒に活動したメンバーと活動をバックアップして下さった皆さんに感謝です。ありがとうございました。
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