GW活動・謝意他~フットサル・ボランティア仲間たちとのつながりにも感謝~

2014年5月4日&5日のT4復興支援ボランティア活動、無事に終了しました。

今回、ボランティアに行かせていただいた仮設住宅のお母さんたちから、いろんなありがたいお言葉をいただいたのですが、その中で。


「あなたに、お嫁にきてほしいのよ~♪」

「あなたも、お嫁にきてほしいわ~♪」


と、女の子たちが言われている風景があったことが、みんなで爆笑になりながらも、わたしにとっては「T4としての代表冥利に尽きる」って、このことかな?と、ちょっと、嬉し泣きしそうな風景でもありました。


みんな、厳しい時は本気で厳しい、この代表についてきてくれて、本当にありがとう!


そして、根気強く、下を向かずに「被災された方々が主人公」という軸をぶらさず活動してくれたからこその、嬉しい爆笑となりました。


そんなこんなで、メンバーみんな、活動後1日明けて、それぞれの仕事に復帰していることもあり。

活動報告を、今後、ゆっくり疲れを癒しながら、綴っていかせてください<(_ _)>


宮城県 山元町 半澤いちご農園さんでの活動風景はココをクリック!


宮城県 山元町 半澤いちご農園活動後の代表夫婦 はココをクリック!


まずは、急ぎ、お礼などなどから始めさせてください。


なんだか笑っちゃうようなボランティアチーム TEAM 4 U を受け入れてくださいました


宮城県 亘理郡 山元町 半澤いちご農園のみなさん&遊びにいらしていて出会ったみなさま


福島県 新地町 仮設住宅で出逢ったみなさま


本当に、ありがとうございました。

心よりお礼を申し上げます。



素敵おやつにご協力いただきました全国のボランティアのみなさま、本当にありがとうございました!!!

やっぱり、お茶っ子には、素敵おやつでほっこり♪ですよねー☆


そして。


今回の活動には。


代表の趣味・フットサルつながりから。


震災当時、Fリーグ「ステラミーゴいわて花巻」に所属していた 岡田サントスジオゴ選手(その後、湘南ベルマーレにて監督をされていました) の奥さんで、当時花巻市に住んでいた。


ブラジル出身の Ana が、ファミリーみんなで花巻市に旅行滞在中の4日に、宮城県亘理郡にあるいちご農園さんでのボランティア活動に参加してくれました!!!


Anaは、わたしたち日本人がハッと省みさせるほど、熱く真摯な気持ちで活動を楽しみにし。

日本語が少し苦手なことや、農業体験もなく不安だったろうに、勇気を出して真っ直ぐな気持ちで参加してくれました。

頭が下がるとは、本当にこのことだなと痛感させてくれました。


ブラジルのフルーツ文化のお話を聞かせてもらえたり♪

花巻での再会旅行がすごく楽しかったお話を聞かせてもらえたり♪


わたしが大忙しで(女子扱いとは別枠なため(^_^;))、Anaを含む女の子チームの活動の面倒をほとんどみてあげられず<(_ _)>

おもわず、女の子みんなを置いてけぼりにして車でブーンと勝手に発進してしまったりしたこともありました。


軽トラ


こんな、カントリー的な事態にさせてしまったりもしたのですが(;一_一)


「筋トレしてる♪」の通り、Anaは一番元気に活動してくださったようです!

さすが、フットサルを愛する女子は違いますね☆


ジオゴ&キッズたちには、Anaがいなくて淋しい思いをさせてしまったかもしれないのですが。

快く送り出し、迎えに来てくれて。

「次は、僕もね♪」と言ってくれたジオゴ☆

恥ずかしがっていたかわいいキッズたちにも。

感謝の気持ちでいっぱいです。


Obrigado !!! Vê-lo novamente ☆☆☆


そして。

「ポルトガル語!?!?!?」とかとか、最初、超落ち着きなく・・・いや、落ち着きがないのはいつものことですね(笑)・・・テンパっていた、わたしの拙い文章を読みながら、陰ながら応援し、今もいちご農園さんのことも気にかけてくれている。


エンジョイリーガー選手はココをクリック!


にも、本当に感謝です、ありがとうございます!


埼玉県内の旧くからのフットサル仲間たちにも「どしたー?」と声をかけてもらったり。。。


代表のわたしも、間接的にT4も、こうして、陰ながら見守ってくれている方々がいてくださってこそ、活動をいつも行えているのだなと、改めて感じました。


2014-2015シーズンは、いよいよ。


ヴォスクォーレ仙台 クリック!


がFリーグに加盟し、リーグ戦を戦い抜くことになります!


FP 14 八一選手には、もう何年も前になりますが、埼玉県のフットサル場でお世話になっていました!!!


やいっちゃんが「仙台に行く!!!」と決めた時、「心意気のある、やいっちゃんらしい選択だな☆」と思いつつ、震災後、そこまで年数が経過していなかったので、「あの子、大丈夫かしら?あんなに色が白いのに(え」という母心(笑)のようなものもありました。

でも「何かあったら、仙台市内で会えるから、ま、いいよねー♪(それだけ、当時のわたしが宮城県に行っていたということですねー)」と思い母心を捨て(笑)。

そして、今。


なんだか、本当に言葉にうまく表現できないのですが、グッとこみあげてくる感慨深いものがあります。


今夏・T4活動時に、仙台市体育館とか青葉区体育館、塩竈体育館などでゲームがあるか確認したら。


な、ない(;_:)(;_:)(;_:)


え、なんで、なんで、ないのです???(意味不明な半ギレ


わたしの大好きな「旅とライブやフットサル観戦コラボレーション♪」は、今夏は実現しないなんて、切ないなぁ。。。

八一選手の試合を「仙台か塩竈で」観戦したかったのにぃ(>_<)

仙台も塩竈も、T4は、震災当初からボランティアでお世話になっていました。

ただ、仙台市内は、ほとんど、活動「拠点」となってしまっていて、「食」を楽しむ以外のことをする機会が多くはないのです。

そして、塩竈は、ずっと、ご挨拶に伺いたいと思いつつ、移動通過点になってしまっているんですね。

だからこその、わたしなりの思い入れというものもあるんです。

でも。

こうして、仙台市(塩竈含め)から、フットサルで元気になるような「アクティブ」が1つ新たに生まれたことが、本当に嬉しいです。


被災地は、あの日から、着実に、一歩ずつではあるけれども、前に進んでいます。


仙台駅界隈・・・特に、仙台市体育館や青葉区体育館などがあるところ・・・は、もう、沿岸部と違って、震災があったことの見る影さえありません。

仙台市の沿岸部は、かなり地場に強い方々の引率がなければ、工事中で行かれないと思うんですね。

塩竈市沿岸部は、漁を県内でいち早く復旧させたし、ショッピングモールもあるので、賑やかです。

なので、もし、Fリーグ観戦などで仙台や塩竈を訪れるみなさまは。


きっと、牛タンや海の幸を満喫したいだろうなーと思うので。


楽しんでくださーーーい☆☆☆


地場の方々に聞くのがオススメですよ~♪


最近、国産の牛タンが少なくなってしまい、仙台界隈の牛タンは、オーストラリア産やアメリカ産に切り替わってきています。

その中で、さぁ、どこが、オススメでしょうか(笑)!?

わたしは、タクシードライバーさんにお聞きすることも多いですが。

今回のGWは、行列!!!とのことで行くことが出来ませんでした。

予約制を受けているお店さんも、案外少ないのですが、なくはないんですね(長期休暇シーズンは、どこも予約を受けていません)。

みなさん、ファイトあるのみです(笑)♪

いや、追って、ブログにアップしようかな(笑)。

今夏のT4活動時には、仙台・塩釜でのFリーグ観戦は断念ですが、秋以降で、機会を設けて観戦&宮城県内でお世話になっている方々との再会&食を楽しむ旅に行くのもいいなーと考えています!


おっと!!!

仙台市界隈の宿泊業界のみなさん&この日はライブや野球他観戦旅行で仙台界隈に泊まりたい方々も、6月からは、お客さまが増え、あら!?になるかもしれませんね!

Fリーグ2014-2015 日程を要チェックです♪


Fリーグ日程はココをクリック⇒PDFを参照してください


そして、今回のT4活動では。


「困った時はお互い様♪」のT4らしく、日本では2万人しか患者数がいなくて、治療法などの確立が待たれる難病「全身性ジストニア」と。

「補聴器を使って聴こえを良くする」ハンディキャップとして持っている。


けんさんに、5日の仮設住宅ボランティアに参加してもらいました!


スポーツ界でも、デフや車イス競技がたくさんありますよね☆


T4でも、いろんな苦境とお付き合いしながらも、前向きに明るく心優しく日々を送っている方に、参加してもらえたらいいなと思っていました。


事前に、けんさんや、けんさんのお父様とお話をさせていただき、本当に、いろんな壁がありながらも、コツコツ地道に投げ出さずに日々を送られているけんさんとご家族の明るさ・前向きさに、本当に勉強させていただきました。

ジストニアの疾患名は聞いたことがあったけれども、よく知識がなかったので調べて。

難聴については、わたし自身も、メニエールや内耳炎から聴力が低下する感音性難聴になりやすいここ数年なのと、祖父も補聴器を使っていたこと、高校大学時代のボランティアで手話などを経験していたことで、明るく前向きにであれば問題ないよねと感じていました。

(音楽家さんが嘘をつかれていたとのことで、難聴に対するいろんな誤解が世間に生まれてしまったことが本当に悲しく、あー、これで、理解・偏見がとんちんかんな方向に向かってしまったなーと思ってはいるのですが、下を向いていても仕方ないので、彼は彼、他の人は他の人、わたしはわたし、と割り切ってしまいました。

わたしは、補聴器がなくても一般会話に支障はないですし、でも、音を言葉として捉えることが苦手な時期もあります。

そして、耳鼻科の先生には「油断しすぎ!」と笑われることもありますが、聴力がガツンと落ちても、休息療養などで、
ある程度まで回復するんですよねー・・・もちろん、手帳は出るレベルでは全然ないですが、不便な時期もあります)


あとは、T4メンバーたちと、けんさんが、どう交流していけるかな?ということが課題でしたが。

またまた、大忙しの代表のわたしは、メンバーみんな同士に任せきりとなり、当日フォローをした覚えがないのですが(^_^;)

みんな、楽しんで交流していましたね♪

けんさんの明るさも、みんなを安心させ、メンズトークが出てみたりもしたようですよ(笑)。

もちろん「仮設住宅のみなさんが主人公」で☆


ハンディキャップの有無を越えて、こうして仲間同士協力して。


「被災された方が主人公」


の活動を成し遂げた、T4メンバーみんなって、本当にすごいなと思います。


次回ブログにアップしますが。

T4初の・・・


「空撮」


まで出来てしまいました!!!


単なる一般庶民のボランティアチーム。

法人でもなく、寄付金も一切お受けしていなく、募金活動も一切行っていません。

そんなT4が、なぜに「空撮」まで!?!?!?


「個性派」集団 T4


本当にまとまりがない時はまとまりがないですが(笑)。


個性派集団だけに。


いろんな得意分野をみんな持ってるんですよね♪


だから、「空撮」まで出来てしまったみたいです☆


2014年は、T4集大成の年です。

それに相応しい活動を、みんな、それぞれに、心に据えて取り組んでくれました。

参加してくれたみんなを称賛したいと思います。


そして、お留守番組だったみんなも、いつものように、活動中緊急災害時体制や、素敵おやつ、機材資材発送他に協力してくれました。

忙しい中、本当に、みんなに感謝!!!

そんなT4・GW活動でした。


最後に。

T4の生い立ち・・・代表のわたしの生い立ち・・・を綴って、今回の記事を締めくくりますね。

過日、お手紙をいただいた、宮城県の某町の方への返信より♪


〇〇様

先日は、メールをいただき、素敵なプレゼントとお手紙までいただきまして、大変ありがとうございました。

ご退職されるとお聞きして、すぐにでもご挨拶に伺いたかったのですが行けずに失礼をして申し訳ございませんでした。

TEAM 4 U 一同より、改めまして、大変お疲れさまでございましたという気持ちと、本当にお世話になりましたの気持ちを込めて、まずは「春」をお届けしようと、いちごをお手紙も添えずに贈らせていただいたので、恐縮しきりでございます。

いちごは、山元町にある半澤いちご農園さんで栽培されているいちごで、「仙台いちご」のブランドで宮城県内で流通していると思います。

半澤いちご農園さんの「仙台いちご」は、とちおとめになりす。

甘みが濃厚過ぎず、ほんのり酸味があって、さっぱりとお召し上がりいただけて「春の訪れ」を感じていただけていましたら幸いです。


わたしがボランティアを始めたきっかけなのですが、すごく不純であり偶然でした(苦笑)。

進学した私立の女子高校は、文武両道という課題を明治時代からかかげ、1学年900人の女子生徒がいるマンモス校でしたが、校則も「いつの時代のことだろう?」と言う位厳しいものでした。

おしゃれに興味を持つ高校時代に、髪型は6種類のみから選ぶしかなく、ルーズソックスを履くことも禁止、スカート丈を短くするのも禁止、カバンの持ち方まで決められていました(笑)。

髪型検査や服装検査、持ち物検査などは抜き打ちで行われ、前髪が1mmでもおかしいと、その場で先生方が有無を言わさずハサミでカットしてくれました(笑)。

オリンピックで銀メダルを取った時の、女子ソフトボール日本代表チーム監督だった、宇津木妙子さんが、うちの高校出身です。

文武 両道ということで、全員が部活動に所属しなければいけない校則がありました。

運動部や吹奏楽部、バトン部、筝曲部は、インターハイや全国大会、世界大会の常連校だったので、通学時間と勉強と部活の両立を考えると、加入することが出来ませんでした。

小学校4年生から地域の合唱団に入っていて、幼少の頃からピアノを習っており、中学時代に合唱部に所属していたので、高校でも合唱部に所属しようか悩みに悩んだのですが、やはり、関東大会常連校(しかも賞をいつも取る)で活動日・活動時間も多かったので、自宅から1時間半かかる通学をしながら合唱を続けると、授業中は寝てばかりだな(笑)と考え、合唱部所属を選びませんでした。

活動日が比較的少なく、活動時間も比較的短 い文化部に所属しようと決めて、最初は。


「部活中にお菓子を食べられる!!!」


ことを動機に「茶道部」に入ろうとしました(笑)。

ところが、みんな考えることは同じで、1学年900人もいたので、活動日や時間が比較的負担が軽い各文化部では「定員」がありました。

茶道部に入りたい新入生は定員オーバーで、くじ引き抽選で入部出来る人が決められました。

わたし、このくじ引き抽選に外れてしまったんですね!

抽選結果が発表されたころには、他の負担の軽い文化部も軒並み定員に達していて、クラスメイトに「まだ加入受付している文化部ないかなぁ?」と焦って聞きまわってみると「ボランティア部は定員がないし、わたしも入ったから一緒にどう?」と声をかけてくれた友達が いました。

ボランティア部って何をするのだろうと皆目見当もつかなかったのですが、とにもかくにも部活に所属しなくてはいけなかったので、ボランティア部に入ることに決めたのです。

お菓子を食べられる部活に入りたかったのに、くじ引きで外れて入部出来なかったから、たまたま空いていたボランティア部にわけもわからず入ったという、本当にお粗末なボランティアとの縁でした。


手話や点字をみんなで練習したり、あしなが育英募金の街頭呼び掛け活動もあったのですが、高校生ワークキャンプに参加して、多様なことを学ぶ活動もありました。


当時、埼玉県では、各市町村の社会福祉協議会が、夏休みに「高校生ワークキャンプ」を主催していました。

2泊3日の泊りがけ (昼食以外はみんなで自炊します)で、旧称養護老人ホームや知的障がい者施設、授産作業所、在宅の高齢者宅訪問のボランティアを高校生が体験します。

高齢者の方々・知的ハンディキャップのある方々と高校生が、お話をすることやゲートボールを一緒に楽しむこと、夏祭りを運営して一緒に楽しむこと、施設の掃除・草刈などをするボランティア活動を通じて、高齢者の方々や知的ハンディキャップのある方が「かわいそうな人達」ではないことを高校生が知ったり。

お話が出来ない場合でも手をつなぐだけでもいいよねということを感じたり、ボランティアってなんだろう?ということに向き合ったりするものでした。

わたしは父が「旧秩父セメント」で勤務していたことがきっかけで、秩父市社会福祉協議会主催のワークキャンプに参加しました。

部活の顧問の先生から「秩父市社会福祉協議会のワークキャンプは素晴らしくて有名だよ」と薦められたこともきっかけになりました。

事前研修会に行ってみると、秩父市内の各高校のボランティア部からワークキャンプに参加する先輩達や同学年の子たちと知り合えました。

わたしは、それがとても楽しくて遊び気分が優先でした。

何度も事前研修会があるのは、当時の埼玉県内各社協主催のワークキャンプの中でも他にないことでしたが、片道2時間半かけて秩父市社協に事前研修会に行くことが苦にならなかったのは、お喋りして笑いあえることが楽しかったからでした。

当時の秩父市社会福 祉協議会・ボランティア育成担当スタッフさんたちは、わたしの両親とほぼ同世代。

そして、これも県内では特殊だったのですが、秩父のワークキャンプは、高校を卒業して進学した先輩たちが事前研修や活動に参加し、高校生が困ったりしているとアドバイスをくれたりする「カウンセラー」としての活動参加がありました。

事前研修で遊び気分最優先のわたしを、ボランティア育成担当スタッフさんたちや、カウンセラーさんたちが叱ってくれていました。

それでもわたしは「ボランティア同士の人間関係が良いものであれば、全て何とかなる」と勝手に決めつけて、聴く耳を持ちませんでした。

そんな甘い気持ち・遊び気分のまま、初めての泊りがけのワークキャンプ当日を迎えました。


高齢者のみなさんとの交流や、知的ハンディキャップのある方々との交流、施設のスタッフさんたちとのコミュニケーション、一緒に活動している高校生の先輩達や同級生、イベントをみんなで一緒に楽しむことは、一見、うまくいきました。

ところが、自炊では先輩達や料理が得意な同級生たちに甘えきり、食後の振り返り会・翌日ミーティング会では疲れていてダラダラしていました。

疲れているのはみんな同じだから、自分に出来ることを探して協力したり工夫してどうにかするという発想が全くありませんでした。

活動だけちゃんとしていればいいと、これまた勝手に自分で決めつけていたら。

社協スタッフさんたちやカウンセラーの先輩達から。


「ありさ。 もう、今すぐ 、家に帰ってちょうだい。 ありさは何もわかっていないしわかろうともしていない。 ありさがここにいないほうが、よっぽどいい」


とだけ言われました。


最初はビックリして何を言われているか全くわかりませんでした。

そんな時、ふと、高校の若手でナヨナヨしていて女子生徒たちから煙たがられていた男性教諭が、朝会で突如台に上がって

「校則は確かに厳しいかもしれない。 

でも、それをきちんとやれないなら、みっともなくだらしなく見える女子なだけだ。 

そんな自分でいいのか、自分で考えなさい。 

以上」

と言われたことを思い出しました。


2泊3日の活動をやり遂げさせてくださいと申し出て、初めてのワークキャンプを終えました。


成長したい・変わりたいと強く思ったので、それを目標にして、叱っていただけているうちが花だと覚悟し、2年目・3年目も継続して県内一厳しく質の高い秩父市社協主催のワークキャンプに参加しました。


一年目では見えなかったことがたくさん見えてきましたし、秩父という小さな田舎町で閉鎖的な特徴もあるからこそ、こんな感じがいいのかな?などの発想も持てるようになっていきました。

3年目になった頃、スタッフさんたちからもカウンセラーの先輩達や同級生たち、各施設のスタッフさんたちからも、「ありさは変わったね」と言ってもらえるようになりました。

大学に進学してからは4年間カウンセラーという役割で秩父市社協主催のワークキャンプに参加し続けました。


本当は、当時は全国でわずかしか存在しなかった福祉系の大学に進学したくて、東北福祉大学を始め全国の福祉系の大学を受験しましたが、勉強嫌いだったこともあり(笑)、福祉系の大学には合格できませんでした。

滑り止めで受験していた大学に唯一合格したので、その大学に進学し、幼児教育を専攻することになりました。


「折り紙や歌などの技術は後からついてくる。

うちの大学の幼児教育学科では、技術より大切なこと”心”に重点を置きます。

幼稚園の先生は”壁の人”でありなさい。

ピンポンパンのお姉さん先生を育成する大学ではありません。

先生になったとき、卒園する子どもたちに”自分を忘れてほしくない”と思うような学生は、うちの大学にはいらない。

今 からでもいいから、折り紙や歌の技術授業がたくさんあって、ピンポンパンのお姉さん先生になれる隣の大学を受験し直して入学すればいい。

”自分を忘れるほど、子どもたちがたくさん幸せなんだ”と思える先生・人間になれるよう、4年間、がんばりなさい」


と入学後のオリエンテーションで教授から指導があり、それがわたしにはすごく合って、無事に卒業できました。


卒論を書くためのゼミでは、教授から


「ほんの小さなこと1つだけでいい。

それを大切に深く濃く追求する研究をしましょう」


とご指導をいただき、卒論のテーマも、どんどん小さくなったのですが、その分、1つのことについて、長く深く濃く思考し向き合う経験に恵まれました。


社会人になってからは、数ヶ月間の間徹夜仕事が続き、自宅に帰ることもままならない日々に明け暮れたりしている数年間もあり、地域ボランティアなどをする機会を逃していました。

ただ、その合間を縫って「いろんな資格や得意なことを持つ人たちと横に繋がり、輪になって、高齢化社会などの福祉を支えていく」ということを最重要視した「福祉住環境コーディネーター」の資格を取得することが出来ました。


震災が起こり1週間後、やっと連絡がついた、宮城県・福島県にたくさん住む、趣味のフットサルやライブ仲間たちから「ありさネエにボランティアに来てほしい」と電話で言われた時に、本当はものすごく葛藤しました。


もしかしたら、高校大学時代に厳しく育てていただいたボランティア経験や物事の 考え方、福祉住環境について勉強したことが役に立つこともあるのかもしれない。

でも、1000年に一度と言われるこのような場面で、経験や資格を活かすために、それらがあるわけではないし、そうした場面で経験や資格が活きてしまうことを全く望んでいませんでした。


本当に葛藤して。。。


それでも次々に友達たちから「役所もどこも、地場のわたしたちの声をちゃんと聴いてくれない(もちろん、大混乱だったので役所が悪いわけではなかったのですが)! ボランティアさんたちがたくさん来てくれることに感謝しているし、すごくありがたいのだけれども、やっぱり、ありさネエみたいな人にボランティアに来てもらいたい」と声をもらって。

ちょうど、会社も退職したばかりのタイミングだったですし、もう、これは、神様かキリスト様か、仏様かわからないけれど「四の五の言わずに、みんなの声に応えなさい」と言われているのかな?と思って、葛藤を切り捨て、経験や資格のことも一度全てなかったことにして、震災から2週間後、まずは仙台市の公的避難所での高齢者の方々の応援に入らせていただきました。


東北福祉大学受験以来の仙台市来訪でしたが、やはり、そこでも「こうした場面で仙台市に帰ってくるつもりではなかったのに」という葛藤がありました。

それでも葛藤を捨て、まっさらな自分になることと、友達たちからの声を思い出すことを何度も繰り返し。


△△町の□□の※※さんからもお声かけをいただき、△△町にボランティアに行かせてい ただきました。

ふと気が付けば、個性や得意分野・趣味がメンバーの数だけたくさんあるボランティアチームになり、細く長くではありますが、3年間、〇〇さんにお世話になりました。

そして、本当に大切なことは何かを全て、教えていただくことが出来ました。

ボランティアさせていただきながら、たくさんの学びをいただけたことに、チーム一同、心から深く感謝しています。


「何をもって復興というのだろう」


〇〇さんからいただいた宿題は、まだ、わたしたちも応えを出せていません。

でも、この宿題は、全国の復興のために自分たちの得意なことで協力したいと思っている仲間たちの心にも強く響いていて、フットサル仲間が復興途中の町に行き、子どもたちや保護者の方々とサッカーを楽しんでくれたりしながら、宿題を考えています。

音楽を生業としていて復興途中の町に友達がいる仲間たちも、関東以南で行うライブの時に、お客さまたちにこのことを話してくれています。


埼玉県で3回起きた竜巻と雪害被害の際は、教わったことを心の真ん中に置いて、各地域の高齢者の方々や疾患に見舞われている方々のために、今自分が出来る最大限の寄り添いをしながら活動するよう心掛けることが出来ました。

海がないから・・・と災害について、のほほんとしていて、1度目の竜巻災害が起きて大慌てし、その後の災害時にも右往左往迷走しがちだった埼玉県を救ってくださったのは 、〇〇さんや△△町の方々なのだと肝に命じているところです。


高校大学時代のボランティア仲間たちと


「なぜ、地域ボランティアと災害ボランティアが、こんなにかけ離れてしまっているのだろう? 

確かに、必要な物や活動内容の主体は災害ボランティアの時と地域ボランティアの時と違うけれど、ボランティアを名乗った犯罪が発生したり、地域の人たちの気持ちに深く配慮することより自分たちのやりたいことを最優先してしまうボランティアさんが多く地域住民が結果的に混乱してしまうことが多発するのはなぜだろう?」


と語り合う機会にも繋がっていて、やはり、地域ボランティアの重要性を共有・再認識しているところです。


奇しくも、埼玉県の雪害は、わたしを育ててくれた秩父市で起こりました。

秩父市社協での地域ボランティア経験と学びが、宮城県・福島県各地の友達たちから信頼をもらえて、災害・復興支援ボランティアとして△△町にも寄せていただきました。

そして、△△町で3年間教わったことが、秩父の雪害の場面で被災された方々に精一杯寄り添う活動に導きました。

何か、不思議な糸で紡がれているのかな?と思えてなりません。


もちろん、今でも、どんな災害他の時でも、経験や資格取得で学んだことを活かすなんて嫌だなと、いつも葛藤します。

こうしたご縁が良いものなのか、切ないものなのか、自分の中で応えを出すことが今も出来ずにいます。


しかしながら、中島みゆきさんの「糸」という詩の中にあるように。


なぜ めぐり逢 うのかを 

私たちは 何も 知らない

いつ めぐり逢うのかを

私たちは いつも知らない

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

織りなす布は いつか誰かの

傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

逢うべき糸に 出逢えることを

人は 仕合わせと呼びます


そういうことなのかな?と感じている今日この頃です。


8月に、△△町の仮設商店街にある※※さんやの※※さん、□□の※※さんに再会しに行きます!

もちろん、※※さんにも立ち寄り、〇〇さんから贈っていただいた”プレゼント”を更につなげたいと思っています!

もし何かお手伝い出来ることがあればさせていただきたいなとも考えています。

△△町の海、緑の木々、浜風、海の幸(メンバーによっては美酒も(笑))、町の方々の心意気、全てに再会しに行きます。

日程が決まりましたら、〇〇さんに改めてご連絡差し上げたいと思っています。

そしてもしご都合が悪くなくて、わたしたちT4と再会していただけるようであれば、ぜひよろしくお願いいたします、楽しみにしています!


今後とも、末永くよろしくお願い申し上げます。


※このメール後、また、素敵なメールをいただきました・・・内容は秘密です(笑)・・・※


追記

まりこちゃんと、ご家族様には、改めまして、心より慎んでお悔やみを申し上げます。

代表でもないのに、お身内のご不幸より活動を優先してくれるメンバーまりこちゃん。

T4当初から細く長くいてくれて、ずっと、わたしのこともT4のことも、仮設住宅で疾患をお持ちの方々なども優しく長い目で見て包んでくれて。

今回、代表なのに、まりこちゃんのご不幸に気付いてあげられなかったことが、本当に悔しくてたまらないことの1つでもありますが。

仮設住宅の方々と涙を越えて一緒に楽しむまりこちゃんは、とても素敵な自慢のお身内なのではないかな?と。。。

本当にありがとう!!!



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