11月2日・仙台市活動報告~まいこ~

今回初めてT4のボランティア活動に参加させていただいたまいこです。

元々私は震災数ヶ月後に別のボランティアグループの山元町のがれき撤去ボランティアに参加させていただいた事があったため、今回T4で山元町の仮設住宅での足湯ボランティアを募集していたのを知り参加を決めさせていただきました。

2日間の活動報告ということで今から書かせていただきますが、ブログを書き慣れないため写真も載せず、文章をまとめるのも苦手なため読みにくいかと思いますがお許しください。


まず2日は仙台市高砂市民センターにて震災当時館長をされ、現在は震災復興支援グループ「きぼう」を立ち上げ活動されている浅見健一さんからお話を伺う事ができました。

浅見さんは震災後、非指定避難所となった高砂市民センターでご自身の人脈・ネットワークを使い食料・物資の支援を全国から集められ、更にその支援物資を他の被災地へ回すための指揮もとられたいうともかくすごい方なのです。

現在は全国各地で講演活動をされたり幼稚園などにライフジャケットを寄付する活動をされているのですが、そんなお忙しい浅見さんがたった数名のボランティアメンバーのために何時間もお時間を割いて当時のお話を資料や映像を交えながらしてくださったり車で沿岸部まで案内してくださったことにまず私は驚きました。

きっと浅見さんは普段からどんな人とでも真摯に全力で向き合う方なんだろうなぁと感じました。そのため、浅見さんの周りにはどんどん人が集まってくるのだと思います。

それを証明するかのように浅見さんは行く先々で地元のみなさんから声をかけられていました。

あるお宅では浅見さんはおそらくちょっとご挨拶をするために立ち寄ったのだと思うのですが、その家のご主人が私たちを全員家の中に招き入れてくださり、更に震災当時から現在に至るまでの状況やお気持ちを話してくださいました。

奥様は急な来客にも関わらず、お菓子や珈琲やお茶や、自家製のお漬物(ものすごくおいしかった!)までふるまってくださり、これぞまさにおもてなしの心だね、とみんなで感激しきりでした。

本当にありがとうございました。

そのお宅も津波の被害に遭われ、一階部分はほとんど水に浸かり、大変な状況だったのだそうです。

津波のあとご近所の方々が家をあきらめて壊したりどこかへ引っ越していったあともコツコツとご自分の力で修繕し、住めるようになったとのこと。

外壁にはまだ当時津波が押し寄せた高さに水の跡が残っていましたが、屋内はとてもきれいになっていて、ご家族の暖かい写真がたくさん飾られていました。

とても住み心地の良さそうなお家でした。

せっかくここまでの状態になったにもかかわらず、この一帯は危険指定区域に入っているため、いずれは集団移転をしなければならないのだと、ご主人がとてもくやしそうにお話されていました。

また、ご主人は「仮設に入ると行政から援助が受けられるのに私たちみたいに自宅を修繕して住み続ける者には費用の援助が一切ない。不公平だ」と怒りを感じておられました。

震災から2年8ヶ月経っているにも関わらず、必要なところに必要な援助が届いていないのだと感じました。

ご主人が話された中で特に私が印象に残ったのは「震災直後はともかく家を住めるように直すことに必死だった。

直し終わった今の方が夜に不安で眠れなくなる」・・・という言葉でした。

時間が経過すれば自然に浅くなっていくような単純なものではない、とても複雑で深い心の傷を被災地の皆さんは負っておられるのだと痛感しました。

その後浅見さんが案内してくださった場所は宮城野区沿岸部の特に津波の被害が大きかった場所でした。

完全に更地になりススキが生い茂っているところもあれば、家の基礎部分だけが残っている場所、さらには津波を受けた後そこだけ時間が止まっているかのように屋内も荒れたまま残されている家もありました。

家主の方が津波で亡くなったりするなどで手がつけられず残ってしまっているのだそうです。

住んでいる人はごくわずかで、あとは工場や車などが時々あるだけでした。


小学校の跡地も見せてくださいました。

浅見さんから、ここに避難してきた多くの大人たち(特に女性)が再開を喜びあっている間に津波が来てしまい流されてしまったのだと聞きました。

そして大人たちが流されていくのを目の前で見てしまった多くの子供たちが今も心の傷に苦しんでいるのだそうです。


2日目は車で山元町に向かいいちご農園さんでのボランティアと仮設所での足湯ボランティアに分かれました。

私は足湯ボランティアに参加させていただきました。

仮設住宅での足湯は、多い時は順番待ちが出来てしまうほどの人気だそうです。

ただ、その日はちょうど文化の日だったため近くで文化祭があり、仮設のみなさんの多くはそちらに行かれていたようで足湯には午前に女性一人、午後男性一人の計2人が来てくださいました。

人数は少なかったですがお一人お一人とゆっくりお話ができたので良かったのではないかと思います。


一人目の女性の方は息を切らしてきて下さったためまずは足湯でゆっくりリラックスしていただきました。

足湯のあと、お茶とお菓子でテーブルを囲みながらお話をさせていただき、お身体の事や楽天の試合の事など話した後、ご家族の話をしていた中でお孫様を津波で亡くされたことを知りました。

笑顔がとても素敵で優しい雰囲気の方だったため、そのような辛い体験をしている事にとても驚き、胸が痛みました。


2人目の男性の方はとても気さくな方で、最初からたくさんお話してくださいました。

その方は震災直前までご入院されており退院直後に被災されたため、飲まなければいけないお薬などがなかなか手に入らず本当に困ったそうです。

また、被災前はお庭に畑があり、毎日畑をいじることで体を動かす事ができていたそうですが今は何もすることがなくて自宅にこもりがちになってしまうとのことでした。

でも最近は楽天の試合があるからそれが楽しみだよ~と話されるのを聞き(その日が日本シリーズ楽天VS巨人最終日だったのです)、ありきたりな言葉にはなってしまいますがやっぱりスポーツって本当に大きな力を持っているんだなあ・・・と感じずにはいられませんでした。


実際、宮城の皆さんは本当に日本シリーズで盛り上がっていて、行く先々の方とその話題になると明るい雰囲気が生まれました。

なんだか私たちも完全にその雰囲気とパワーを頂いてしまい、最終的には試合をやっているスタジアムまで行ってパブリックビューイングを観ながら宮城のみなさんと楽天の勝利を喜びあっていました。

ほんの二日間で本当にたくさんの貴重な体験をさせていただきました。


今回の活動で本当にいろいろな場所を見学させていただいたり、たくさんの方々のお話を聞かせていただきました。

その中で私が特に感じたことは、復興はまだ本当に道半ばだということ、そしてそんな状況の中で私は2年前ぐらいに一度だけ山元町に足を運んで以来、被災地とはほぼ無縁の生活をしてきたのだという事実でした。

仕事をしている間は仕事の事を考え、仕事が終わったら自分のための時間を過ごしていました。

実際に被災地に足を運ばないまでも、自分はどれだけ被災地の事を思い浮かべただろうか?と考えました。


震災直後あれだけメディアで流れていた被災地の情報も今は意識をしてキャッチしないと見つけられないのが現状です。

ありささんが車の中で「こんな状況なのに、どうして風化してしまうんだろう」と言われていましたが、そこに明らかに自分は加担していたのだと実感しました。

私たち一人一人ができることは本当に小さな事かもしれないけれど、どんな事でもいいのだと今は思います。

行ける人は被災地に行けばいいし、行けなければ募金や寄付をしたり、被災地の事を思ったり、誰かと話すだけでもいい。

自分を含め、何も思わない・考えない事が一番怖い事だと感じました。


今回T4メンバーや浅見さん、仮設の方々、いちご農園さん、梅鉢の人々など本当に沢山の素敵な人との出会いがありました。

このつながりを大切にし、自分にできることを考えながら1歩1歩進んでいきたいと思いました。

本当にみなさんありがとうございました。

更新が遅くなってしまいすみませんでした。
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