仙台市での再会&もう一つの仙台市~2013年11月2日~

それは、2012年3月上旬のことでした。

海外青年協力隊でケニア・マリンディに赴任している、Facebook友達の岸さんから、日本とケニア・マリンディの児童厚生施設をスカイプ中継でつないで、オンタイムで、東日本大震災から1年の節目に「双方向哀悼会」を開催できないものかという話になりました。


東日本大震災から1年 浅見健一さんのメッセージはここをクリック(横向きですみません)

その時のケニアの様子はここをクリック


高砂市民センターの雰囲気はここをクリック


それまでの宮城県各地や福島県の町のT4での活動で「1年目は静かに過ごしたい」という声を非常に多く聞いてきたので、果たして実現可能かどうかをとにかく吟味しました。

T4の活動ポイントになっている地区は候補から外す。

では、T4の活動ポイントにはなっていないけれども、比較的、町全体が落ち着きを見せているのはどこになるのか?

田舎町が候補から外れていったことは想像にたやすいと思います。

いくつか候補の町はありましたが、人と人とのコミュニティが良くなるところに重きを置き。

いつもT4がステイさせていただく仙台市の宿のオーナーに相談。

若いオーナーは、町のコミュニティが少しでも良くなるようにと尽力されていたりしたこともあって、東日本大震災直後「非指定避難所」とならざるを得ず、行政から早急な支援を受けられないまま避難所として発進した「仙台市高砂市民センター」の旧浅見健一館長さんを紹介していただきました。

当時、日本に住む誰もが、小学校・中学校・体育館といった公的施設でまかなえないほどの被害が発生する大規模災害を想定していませんでした。

仙台市高砂市民センターさんは、行政が指定していた公的避難所に該当しなかったため、未曽有の被害を出した東日本大震災直後に、1200人以上の方々が避難に訪れても「公的支援」を受けることが出来ませんでした。

毛布、衣類、飲食料・・・そういったすべての支援を受けることが出来なかったのですね=行政や国が柔軟に対応できるノウハウが当時はなかったのです。

では、1200人以上の方々に「ここは公的避難所ではないから帰ってください」と、あの時、誰が言うことが出来たでしょうか。

旧館長だった浅見さんは「自分の命に代えてもみなさんをお守りします!」1200人以上の方々の前で、こう宣言されました。

先日の再会で「なぁんで、あんな責任重大なこと言ったんだろうなー(苦笑)。今考えても、よくわからんのだよ(笑)」とおっしゃっていました。

無責任で結果オーライだったという雰囲気は微塵もなく、逆に、大役を果たすことが出来たのは「協力してくれた全国各地の方々と避難していたみんなの協力のおかげだから」といった謙虚さや真摯さを感じさせるつぶやきでした。

わたしは、震災から2週間後に、資格者であることやボランティア経験が長かったことなどとリクエストがマッチしたので、公的避難所の高齢者の方々のお手伝いに伺うことがありました。

公的避難所は小学校でしたが、保健室の先生が、みなさんの頼りだったことが非常に印象強く残っています。

飲食は国から届いていましたが、毎日変わり映えしない保存のきくメニューだったため、食事制限のある方々は不安を強く持っていたことや、電気もまだ戻らない中、食すら楽しむことも出来ず、自宅は黄色旗や赤旗が貼られてしまったため薬を取りにいくことも出来ない不安の中で、本当に手を握ってくれる人たちが必要でした。

「県外から来たボランティアなんて嫌だわ!!!何しに来たのよ!!!わたしは県外ボランティアさんなんかに気を遣うつもりなんてないから!!!」そう言われたことも一度や二度ではなかったですね。

でも、それで正しいのです。

思っていることを、八つ当たりでもいいから言えること、言える相手がいることが、きっといつか何か良い方向に向かったはずです。

じっと耐えて耐えて苦しんでばかりいては、長い将来、良くないですからね。

浅見さんが運営された私設避難所は、集まったみんなが、当番を必ず何かすること・喫煙は敷地内ではしないこと・仕切りを作らないことがルールでした。

仕切りを作らないというのは、消防出身だった浅見さんだからこその発案です。

人の命を守ることと、プライバシーを守ること、どちらが大切か。

狭い避難所では、高齢者の方々は寝たきり・動かなさすぎになりがちです。

そうしていると、血栓が出来てしまい、心臓他に飛んでしまい、最悪、死に至ることがあります。

プライバシー、プライバシー、プライバシー・・・あの頃、本当に報道で避難所の様子が映るたびに言われていましたが。

仕切りを作って、プライバシーに配慮した避難所もありましたが。

浅見さんの避難所では、一貫して「仕切りをつくらない」ことにより、血栓が飛んでしまった方の発見が非常に早期に行われ、早期に救急搬送されたため、大事に至ることはありませんでした。

かたや、他市の公的避難所にいて、他県からかけつけた災害派遣ドクターの往診で「今すぐ救急搬送」を言いわたされ「どうして?自分はこんなに元気なのに?」と災害派遣ドクターを疑いながら救急車に乗っていると、どんどん具合が悪くなり意識もなくなり、後で、血栓が飛んでいて危ないところだったと搬送された病院の先生から聞いたという方にも出会いました。

あの時のお医者さんに、本当にありがとうと言いたい、あの時お医者さんがああしてくれなかったらわたしは死んでいた・・・号泣されていました。

蛇の道は蛇。

今後の「避難所」のあり方が、果たして、国が基準としているもののままで良いのかどうか、もう少し工夫をし直してみる必要があるように思います。

ドクターや消防・救急の意見がどこまで反映されているのか、不安材料が残ります。

ある避難所で、着替えボックスを見ました。

そういったものを利用することによって、着替え時の配慮は出来ることでしょう。

子どもたちの勉強部屋を時間帯を決めて設けている避難所もありました。

あとは、人命優先・衛生優先であったりしてもよいように感じます。

工夫さえすれば出来ないことではないのではないでしょうか。

浅見さんの私設避難所では、みんなで当番制とか、敷地内禁煙、仕切りを作らないといったルールを守れない方には、他の避難所を紹介し、申し訳ないけれどもと一貫して移転していただいたそうです。

そうして、みんなで、毛布や市民センターの幕を使って暖を取り、譲り合い、足りないものは浅見さんの「人的コミュニティー」と「地場の企業さんへの声掛け」で集めることが出来ました。

それだけではなく、この避難所が落ち着いた後は、他市町村の避難所にも物資を分けて助け合ったそうです。

1日3食、カレーライスなどのしっかりした食事をとることも出来ました。

公的避難所とは大きな違いです。

「何が命にとって大切なことなのか」

それを追求するためのルールと、ルールを守るみんな、浅見さんの人望や地場でのコミュニティの強靭さが、1200名以上の方々の命を守ったのですね。

浅見さんが決して優遇されていたとかではありません。

彼も、親族や地元仙台市や近辺での仲間たち50人以上の方々を津波で失いました。

自宅も津波で被害に遭いました。

「自分も被災者なんだから」なんて決して言わず「町のみんなの命を守るんだ」それしか彼の心のど真ん中にはありませんでした。

わたしたちは、東日本大震災から何を学ぶべきだったろうか。

ボランティアセンターのあり方でもなく、ボランティアの一元化???とかよくわからないことでもなく。


災害時に、どれだけ、地場のみんなで、家族で、思いやり、助け合い、みんなでお互いの命を守れるか


ではなかったのだろうか。


東日本大震災で被災された方々にお話を聞いてみると。


何か起きた時に、家族と連絡が取れなくなったらどうするのか?をよく話し合っておいてほしい


地場のことは地場の人にしかわからないこともある、地場の企業と地場の高齢者、若い世代、子どもたちみんなで、これからのことを考えていかなくては



そんな言葉が数多く聞かれます。

ボランティアにああしてほしい、こうしてほしいといった細かいリクエストは今はもうなくて。

でも、全国のみなさんに「家族を大切にすること」を伝えたい・地場のみんなで協力し合う姿勢を模索しながら大切にすることを伝え継いでいきたい

のですね。

地場のみんなだけでは少し足りないなといったところ・・・たとえば、今、浅見さんが全国各地・海外からも講演会や取材で日々のスケジュールがいっぱいな中、沿岸部で地震などがおこる可能性のある地区に救命胴衣(子ども用)を寄贈するなどの活動を、全国の心ある企業さんやボランティアさんにお手伝いいただけないか?というような・・・ところをお手伝い出来るような「わたしたち」でいる必要があるように感じました。


震災からしばらくして、出逢ったある方がこうおっしゃられたことを今も忘れることが出来ません。


「ボランティアさん?

それともテレビ局?

よくわからない金儲けの人かね?

災害が起きるのを待っていましたと言わんばかりに来る。

そして、次の災害が来るのをまるで待っているかのような言葉も耳にする。

向こうにはそんな気がないのかもしれんが、2次災害とかやらのためにとかね、俺たちだってわかっててどうしようって考えているのにな、よその人からああでもないこうでもない、親しげに言われてな、本当は、もう嫌なんだよ。

ボランティアたちがここで暮らしていくわけじゃない。

俺たちが暮らしていくんだよ、辛くったってさ。

ボランティアなんかいなくたって、この町は復興するんだから!」



わたしたちボランティアには踏み入ってはいけな領域があることを、決して忘れてはいけないと思い出させてくれた浅見さんとの再会でした。


浅見さんとの具体的な1日は、メンバーたちが報告や感想を書いてくれると思うので、わたしからは、こんな感じで大局的に東日本大震災から学ぶことを少し書かせていただきました。


どんな様子だったのかだけ、まずは簡単に写真で綴ってみたいと思います。


浅見さん1


この川を津波が逆流・越水し、仙台市内の被害が大きくなりました


七北田川1


橋の下です。ここは津波の水の高さが人の身長よりも上回りました。


オーナーから学ぶ


ここには小学校があり、津波警報を聞いたみなさんが避難していました。


小学校1


ほとんどの方々は命を落とされることなく2Fや屋上に避難していましたが。

命を落とされた方々は。

「あー!〇〇ちゃんママだわーーー!!!」

「△△ちゃんママ!!!今、下に迎えに行くから待っててね!!!」

ここのタイムロスが辛い辛い結果になってしまったのだそうです。

「どうか、〇〇ちゃんママ!△△ちゃんママ!と知り合いを見つけたら、下に迎えに行ったり、上にいるお友達を待ってホッとしたりせずに、とにもかくにも上に上がるような言葉掛をお互いにしてほしい」

浅見さんが、そうおっしゃられていました。


小学校2


蒲生周辺2


わたしやT4が2011年5月にボランティアにお伺いした地区です。

仙台市沿岸部は、復旧工事が早くから始まったので、一般ボランティアが入ることが出来なくなっている箇所がほとんど。

浅見さんにご案内していただけなければ、どうなっただろうかと心配し続けていたと思います。

あれから変わらない風景も目の当たりにしましたが、ちゃんと理由がありました。


蒲生周辺1


査定を待っているんですね。

復旧や復興が遅れているということでは決してない。

津波被害に遭遇した土地では「今後、住めるのか否か」を住民と行政の根気強い話し合いなどによって継続的に行われたりしています。

その結果を待って・・・という家主さんや地主さんも少なくないためといった意味があるんですね。

あの頃のままだと悲しむだけではいけません。

「どうしてそうなっているのかな?」と考え、「地場の方から教わること」がとても大切です。


蒲生周辺3


蒲生周辺4


元々は生活用品他であったものも、分別されています。

少しではあるかもしれませんが、こうして、1歩ずつ復旧や復興は進んでいます。


蒲生周辺5


日和山・・・残念ながら、津波被害の為、山がなくなってしまいました。


日和山1


2ヶ所に防潮堤を作っている最中だと浅見さんが教えてくださっています。


日和山3


日和山2


わかるでしょうか?屋根に近い壁(白)に茶色の横線があります。ここが、津波到達した高さです。


我妻邸 津波到達線


Wさんのお宅は1階が津波で浸水被害に遭いました。

浅見さんが屋根瓦を直してくれたり、浅見さん・Wさんの地域の仲間たちがみんなで修繕に駆けつけてくれたりしたそうです。

廊下のクッションフロアは、浅見さんが協力してくれたとのこと。

あとは、とにかくWさんがひたすらコツコツとがんばられたのだそうです。

津波被害に遭われたとは思えない復活ぶりです!


地域コミュニティで復旧した我妻邸


我妻さん


我妻さん2


1階も住めるようになり、居間には、たくさんの「家族の笑顔の写真」が所狭しと並んでいました。

Wさんの奥さんが楽しんでいらっしゃるようです。

しかしながら、「危険指定区域」の認定を受けて、このお宅から、近からず遠からず離れなくてはいけないとのこと。


我妻さん奥さま


あの日、生まれて1ヶ月だったひーくんも、2歳半を過ぎてプラレールが大好き!

ひーくんが「のぞみ」や「こまち」で遊んでいるお部屋には、先祖代々のみなさまのお写真が並びます。

Wさんの本家なのですね。

先祖代々の本家だから、これしきのことで!とWさんがひたすら地道にコツコツと修繕されたこのお宅に住めなくなってしまう。。。

きっと先祖代々のみなさんは許してくれると思いますが、Wさんのお気持ちはいかばかりかと思うと。。。

ひーくんの無邪気さと天真爛漫さが灯りをともしてくれるようです。


ひかるくん1


ひかるくん2


ひーくんも「あちゃみちゃん♪あちゃみちゃん♪」と言うほど、浅見さんのことが大好き!

みんなで記念に撮影しました。

少しぼやけてしまったのですが、みんなに、これからも良いことがありますように☆


みんなで1


宿についてからは、近所のみなさんや、宿泊客のみなさん、わたしたち、オーナーやスタッフさんたちと一緒に。

楽天応援大会!!!

Wさんも浅見さんも、みんな、楽天優勝をワクワクドキドキ楽しみにされていました!!!

みんなで楽しもう!!!

お家を失わなかった人が遠慮する必要がない。

仕事を失わなかった人も遠慮する必要がない。

仮設住宅で夏は暑く冬は寒い生活をしているみんなも大手をふるって楽しんでいい。

そんな機会が、震災後、本当に少なかったと思う。

みんなで一緒にこんなに楽しめるって、本当にかけがえのない素敵なことですね☆

「スポーツの力」の大きさの凄さを、本当に心からひしひしと感じたのでありました。


みんなで2

関連記事
スポンサーサイト

コメント


GO TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。