被災地の今&現実~2月活動報告を通して2~

さて、それでは、引き続き2013年2月活動報告を通して、報道ではあがらない被災地の今と現実を綴ってみたいと思います。

今回訪れた仮設住宅ボランティアで、実は、みなさんご遠慮気分だったのか、いちご農園さんで購入させていただいたいちごちゃんに余裕が出たんですね。

どうしようか、復興支援センターさんとも相談したら、△△仮設にお持ちしてみてはどうか?となったので。

活動後にお寄りしてみました。

しかし、夕方の真冬だけあって、大人の方々が通りを行きかわなくて。

じゃ、□□仮設に行ってみようか、〇号棟に※※さんがお住いのはずだから・・・と行ってみると、お引越しをされていました。

小さなお子さんがいらっしゃるご家庭で、じぃじがとても心配しているとお聞きしていたので、じぃじのいる近くにお引越しされたのかもしれませんね。

で、最終的に、自治会長さんとも非常にご縁のある仮設住宅へ。


カラオケ会があったとのことで、談話スペースで、お母さんたちが余韻を楽しみながら語らっていました。

この仮設住宅を訪れるのは、実に1年3ヶ月ぶりでしたが、お母さんたち、わたしたちのことを覚えていてくださったんです。

いろんなボランティアさんが来てくれるけど、あなたたちのことはすごく覚えている!

特に、〇〇くんとか♪

など、みなさん、すごく盛り上がりまして。

いちごちゃんのお裾分けを相談してみると、「うわぁ!苺のツルのリースまでついていてオシャレねー☆」と大歓迎してくださり。

自治会長さんに、ご挨拶がてら持って行ってみて、本当にありがとう!また遊びに来てほしい!とのこと。

自治会長さんは、風邪でお休みされていたのですが、やはり、わたしたちのことを覚えていて下って。

「このいちごは、〇〇くんの農園のいちごだね!素晴らしいね、嬉しいねぇ~♪ありがとう!また、遊びに来てください!!!」と。

地区にはずっと入っていたものの、なかなか時間を割くことが出来ず、1年3ヶ月ぶりの再会となってしまったことが申し訳なく感じましたし、被災されたみなさまの「継続ボランティアが安心する」お気持ちが垣間見える出来事でした。

自治会長さんにいちごちゃんを預け、きっと、翌日以降に、健康体操などで集まったお母さんたちとみんなで召し上がっていただけたのではないかと思います。


この仮設住宅には、2011年6月に初めてこの地区に入り、力仕事から始めたわたしたちが、どうしてるかなー?と気になっているお母さんが住んでいらっしゃいます。

2011年6月、午前中に、避難所から仮設住宅のお引越しをお手伝いさせていただいたのですが、津波で旦那さんを亡くされ、ご自身は津波を泳ぎ切って助かったお母さんでした。

津波を泳ぎ切って助かった方々は、何もこの地区だけではなく、沿岸部に近い地区では、かなりたくさんの方々がいらっしゃいます。

地区や避難所の体制によりましたが、避難所にたどり着いたものの、毛布やスリッパは5人で1枚・1つを使い、着替えもない、お風呂にも入れないので、凍えそう・汚泥で不衛生だったと聞きます。

お財布や携帯も失ったり壊れたりしたため、津波を泳ぎ切ったものの家族とも連絡を取れない。

コンビニやスーパーが1日数時間限定・種類や数制限付で再開しても、スリッパが1つしかなくお金もないため、5人で順番に行き、分け合うしかなかったと。

偶然、1人の方の親御さんが避難所にわが子を探しに回っていた時に再会出来て、5人とも、その親御さんのご配慮を受けて無事に自宅に戻ったとか。

このお母さんは、津波4波目までは、後ろから旦那さんが指示の声掛けをしてくださって一緒に津波を泳いでいたんです。

しかし、旦那さんは、奥さんを守る役割を果たして力尽き、5波目でとうとうお亡くなりになられました。

お母さんは「パパはもうダメだと思って、パパについていこうかと思ったけれど、せっかくパパが守ってくれようとしたのだから頑張らなくては!」と必死だったそうです。

陸地に上がってすぐ、救急車で搬送され、あの寒さと海の水の冷たさによる凍傷や肺炎などと闘われました。

退院後は、避難所へ。

避難所に行くと、近所の方々が、一緒に津波を泳いでいた愛犬ちゃんも無事に保護され、〇〇さんというわんちゃん大好きな方が保護して面倒みてくれてるよ♪との知らせを受けたそうです。

小さな地区ですが、汚泥や油がつき、濡れそぼったわんちゃんを「この子は〇〇さんの家の子だよ!」と気付いてくださるのは、容易ではなかったはずです。

お母さんは、泳いだこともなく、甘えん坊なわんちゃんだったので、きっとパパの元に行ったに違いないと思っていたので、泣き崩れたそうです。

お母さんがご家族に再会できたのは、避難所でした。

妹夫婦や姪っ子たちは、どうしているのだろうか。。。

パパがいなくなってしまって、自分は、ひとりぼっちになってしまった、これからどうすれば?と思い詰めながら食事の配給に並んでいると。

どうにも、前に並んでいる人が、妹さんの旦那さんに見えて仕方なかったそうです。

前に並んでいる人は、不思議そうに見つめていたそうです。

お母さんは「思い詰めすぎて夢を見ているんだ」と感じたそうなのですね。

しかし。

夢ではなく、本当に不思議なことに、妹さんの旦那さんだったのでした。

お互い、「夢を見てしまっている」と感じて、にわかに信じられなかったのだそうです。

だから、お互い、不思議そうに見つめあっていたんですね。

妹さんの旦那さんは、お姉さんのことが心配で、あちこちの避難所を探し歩いていたそうです。

とりあえず、食べる物を食べないと・・・という気持ちだけで、配給に並んだ。

そうしたら、前後に並んでいた。

わたしは、お母さんの亡くなられたお父さんが引き合わせてくれたように思えて仕方ないです。

こうして、凍傷の後遺症他が残り、歩行に助けを必要とするお母さんは、妹さんにも姪っ子さんにも会うことが叶いました。

もちろん、妹さんご家族も仮設住宅に入られたのですが。。。

お引越しの時に、妹さんがヘルプに来てくださって、「避難所にいれば、みんなでわいわいやれているからいいけれど、仮設に移ったらひとりになってしまう。姉が本当に大丈夫なのか心配だわ」とポツリとおっしゃっていました。

お母さんは、ずっと気丈にされていたので「そんなに崩れてしまうだろうか」とよぎりましたが。

お引越しの車の中で、「大丈夫!わたしは大丈夫!仮設に移ったら、大好きなビールを飲んで、焼き魚を食べて、楽しみがいっぱいあるから♪」と言っていたのですが。

ポツリポツリとあの時のことをお話し始めて。

「わたしには、もう、あの娘(愛犬ちゃん)しかいないの!!!

ひとりぼっちになっちゃったの!!!

凍傷の後遺症が落ち着くまで・リハビリが進むまで、あの娘と一緒に暮らせないなんて。。。

どうしたらいいの!?!?!?」

辛い想いが堰を切ったようにあふれ出し、涙が止まらなくなっていたのでした。

あれから、何度かお顔出しはしていました。

一度は、愛犬ちゃんも仮設住宅のお母さんの元に帰ってこれて、すっごくかわいく甘えていました☆

妹さんや姪っ子さんの見守りも本当に温かいものだったので、少し、お暇していました。

2013年2月。

久しぶりにお顔出しをしてみると。

「わたし、癌になってしまったの!!!

生きていたって、何もいいことがない!!!」

と、玄関先で泣き崩れてしまわれました。

孫のような存在もいた方がいいなと思い、ひらっちを急遽呼び寄せ、しばらく、ゆったりと、お母さんとお宅の中でお話を。

わたしたちが来る数日前まで、1つめの癌の手術入院から退院してきたそうなんですね。

しかし、あと数日後に、2つめの癌の手術入院するとのことで。

愛犬ちゃんは、いつもお世話になっている方に、ずっと預かってもらっているとのこと。

お母さん、それはそれは淋しそうで。

愛犬ちゃんのかわいさを語る時は、目をキラキラ輝かせます。

日中は、入院の準備などで慌ただしく過ぎてくれるけれど、夜、ひとりぼっちになって、愛犬ちゃんが隣で寝ていない現実を見ると、どうしても、よからぬことを考えたりもするとのことでした。

わたしたちは、頃合いを見計らって、お父さんにお線香をあげさせていただきました。

わたしは、お父さんにお線香をあげさせていただくのは2度目です。

いつもいつも、どうか、お母さんを守ってあげてくださいと祈ります。

お写真のお父さんは、本当に明るく素敵な笑顔で、お母さんと一緒になれて幸せだったのだろうなというオーラ満載なんですね。

お母さんは「お父さん、よかったね」と泣いていらっしゃいました。

玄関先で「生きていてもしょうがない・生きていたって良いことなんて1つもない」と泣き崩れていたお母さんでしたが。

わたしたちといろんなことを話しているうちに、少し、心がホッとしたのか、栃木県に住む姪っ子さん&姪っ子さんのお子さんたちの話をし始めたり、ひらっちの病院に通っている若い患者さんの切ない話を聞いて「わたしなんて、こうしていられるんだから、まだまだ幸せなほうだと思うのよ」と言い始めたり、少しずつ、お母さんらしさが戻ってきました。

しんみりして、ずっと不安な話ばかりしていても、しょうがないじゃないですか。

わたしは、お母さんに何があっても、お母さんの前から消えないから、GW、温かくなった頃とか、夏とかに、また、ここで会いましょうね♪と約束することしかできません。

それも楽しみの1つとして、お母さんが手術入院をがんばれるのであれば、それでいい。

もちろん、様子をうかがいながら再訪してみますが、お母さんの「いつか、復興住宅に移ったら、みんな雑魚寝でビール飲んだり、魚を食べたりして楽しもうよ☆」夢が叶う日に、笑い合っていられることをが、わたしの夢でもあります。


お母さんがおっしゃっていて、わたしも各地域で注意深く見守ることになったことがあります。

それは。


嫁に来た人


の、生き辛さです。

元々生まれ育った地区で被災したわけではなく、嫁に来ただけだと、昔ながらの地区の方言がわからなくて困ったりするそうです。

もう一度言ってくれませんか?と丁寧にお願いしても、空気がすごく悪くなってしまうと言います。

仮設住宅のみなさんと上手くやろうと思うのだけれども、自分にはわからない独特の方言で喋られてしまうと、なかなか入りづらいし、肩身が狭い。


他地区でも、かなり見かけました。

20代の若い女性の方とまったりお話する機会があったのですが。。。


「わたしは、この地区に嫁にきてすぐに震災・津波で家をなくしてしまった。

実家は別地区なんだけれども、やはり津波で家がなくなり、実家の母が亡くなったの。

どうしようって思ったけれど、もう、お嫁に来たんだし、お母さんは旦那のお母さんしかいなくなったんだから、うまくやるしかないじゃない?

おばあちゃんの介護をお母さんと交代でやったり、ちょっと大変だけど、旦那のお母さんも、ここの仮設は狭いんだから、愛犬たちと一緒に出ていけ!とか言わずにいてくれるから、ね。」



お母さんを立てるために、「そのボランティア、早く行きたいな~♪」だったとしても「お母さんが外出してるから、お母さんが帰ってきたらにするね♪」としたり。

お母さんと一緒に来ても、まずは何はともあれ全て「お母さんが先にどうぞ♪」。

全て「お母さんの言うとおりで」。


震災などの天災が起きた時に、都会的な都道府県で、狭い仮設でお姑さんと同居し、介護までする20代女性が、何かあっても実家には頼ることも出来ず、とにかくお母さんが全て先!とかに耐えていけるのかな?と思うと、まぁ、無理だろうなというのがわたしの率直な感想です。


こんな状況の中、地区独特の昔ながらの方言で、お母さんがお隣の奥さんと話でもしていようものなら「わたしの悪口言ってるんじゃないかな?」とか思ってしまいそうですし。。。


お子さんが入る予定だった学校が、津波被害のため統廃合となったため、震災前はお子さんや孫と離島で暮らしていたのに、ママと子どもたちは島から離れて「本土の仮設に住む」という選択を余儀なくされていることもあります。

最初は、週に一度、本土からパパに会いに離島へ行っていたけれど、子どもが風邪を引いたり、行事があったり、ママひとりの子育てが初めてで疲れてしまったりで、2週間に1度になったり、月に1度になったりしてきた。

パパは何も不満を言わないで愛してくれているけれども、地区の方々の「夫を1人残して」という声に悩まされているといったことも聞かれました。


パパの仕事がなくなってしまったため、ママ&子どもたちは地区の仮設住宅に残り、パパは首都圏に出稼ぎに来ているご家庭では、夫婦の気持ちの行き違いや、子育てがママひとりの負担になってしまっていることから、離婚を見据えた深刻な喧嘩に発展したりしてしまうケースも聞いています。


震災から2年目を迎え、報道はかなり増えていました。

しかし、地場の方々の本音や真実を伝えてはいないことが、ものすごくわかります。

タレントさんが来て「嬉しくて盛り上がる風景」は、単なる一過性のものであって、秘められた被災地の今&現実を報道しているものではありません。

それらを見て、「もう、震災の報道ばかりで飽きる」といった関東以南の風化が進んでしまった声も聞かれます。


困った時はお互い様・自分が相手の立場だったら嫌だなと思うことはしない


対岸の火事になってしまっている方々に、どうにか考え方を変えたら?とは、実は、サラサラ思っていません。


因果応報


だろうなとわかっているからです。

対岸の火事で、あー、震災関係の報道なんて飽きたよとか、福島県に出張に行くなんて怖いとか言っている方々には、何かあった時に、それなりの助けしか回ってこないんです。

だって、そういう方に限って、「自分は支援を受けられて当然だ」的な態度・言動になって、すぐにわかるんですよ。

協力し合っていこうとかガマンしようとかの姿勢や言動は見られないので、周りの協力し合っていこうよ・我慢しようよと思っている方々から「何、この人?変なヒト。関わらないでおこう」とされてしまうんです。


震災から2年目を迎える・・・祈ることも大切ですが、その日だけ祈るのではなく。

困った時はお互い様ってなんだろうな?それは、自分が誰かから言われたりしたら嫌に思うかな?と考えてみる機会にもしてほしいなと思います。


そして、今一度、ご家族同士で「携帯で連絡が取れない天災時には、こうこうする」という約束事を確認してみてくださいね♪

東日本大震災では、ご家族同士の決まりごとがなかったために、子どもたちはママやパパを探すために動き、ママやパパは子どもたちがここにいるはず!と動き、結果的に行き違いとなり、犠牲が増えてしまいました。

どうぞ、ご家族同士での話し合いを、哀悼の気持ちも込めて、してみてくださいね。
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