被災地の今&現実~2月活動報告に寄せて1~

前回の少ない脳みそのしわ?を一生懸命全て集めきってがんばって書いた「ひらっち」活動報告(笑)。

これをご覧になってくださったみなさまが「そーだよねー♪」「わかる、わかるー♪」なお気持ちになっていただいた方が圧倒的少数なのではないかと思えて仕方ありません(^_^;)

では、補足を兼ねながら、更新してみましょうか。


宮城県では「仙台いちご」「仙台りんご」が特産なんです☆

もちろん、油麩や海の幸、蒲鉾類、牛タン、萩の月といった特産もたくさんあるので、本当に「食の宝庫県」なんですね。

震災による被害で、沿岸部の打撃の大きさ、水産加工工場の被災、人手が足らなくなってしまったり→一時期、食の宝庫はどうなるのか!?と危ぶまれましたが、今は、徐々に復活してきています。

それでも、家や車、家族や親戚、お友達を被害で亡くされた方々のお気持ちは、察するに余りあります。

もちろん、「津波に追われて走って逃げて、間一髪で山の中に入って逃げ切ったんだぞ☆」といった武勇伝は非常に多いのですが。

やはり、辛かったことや怖かったことを「武勇伝に変えることが出来るパワー」は、地場ならではの食や、「旅行で行った」「親戚や友達が住んでいる」など縁の食から生まれるものであったりもします。

仙台いちごは、どの地区にお持ちしても。

「良かった~♪ 津波でもうダメかと思っていたけれど、ちゃんと残ったんだね・実ったんだね」

と、宮城県のみなさん、感慨深いようですね。

やはり、地場の特産がなくなってしまうことは悲しいことですから。。。

感慨深さの後は、「みんなで味わう♪」楽しさで癒しを。

そんなこともあって、みなさん、美味しいとパクパク食べられます(*^_^*)


2年経つのに何も変わっていない・復興ってなんだろ?は、こちらをクリックして、もう一度風景他をご覧いただくことがいいかなと思います。


子どもたちが怖かったぜ!!!についてですが。

これはですね、実は、この地区では、2011年秋から、T4が取り組んできた課題でもあります。

卒業式を間近に控えたしげきちが、追って、何か書くかもしれないのですが、わたしとご協力をいただきましたサッカーやフットサル業界のみなさんとの取組から、いろんなことが見えていて見守っているので、簡単に記してみますね。

2011年秋、この地区での仮設住宅支援ボランティアが始まりました。

それまでは、この地区では、力仕事ボランティア他に従事していたんですね。

仮設住宅でのキッズたちは、みんな、手にビービー弾を持っていました。

最初の頃のキッズたちは、ビービ―弾を手放すことなく、自分たちの心の叫びを、はっきりと明確な言葉の数々で、わたしたちに訴えていました。

それらは、この被災後の環境では、なかなか叶うことは難しいのはわかっていたので、「なんで、そう感じるのか」といった風に、きめ細やかな問いかけをしてみました。

オトナたちの前では、どうにも話しにくいようだったので、県外から来た「誰?」というオトナのわたしと、キッズたちとの時間を持ってみることにトライしてみたのです。

ビービ―弾を手放さない理由は、いくつかありました。

その中の1つが。


今度、津波が来たら、ビービ―弾でやっつけるんだ!!!


だったんですね。

なるほど、キッズたちはキッズたちなりに、日々、相当緊張しながらも、震災に負けまい・次に何があっても負けたくないと思っているのだなとうかがえました。

ビービ―弾を禁止することは簡単かもしれませんが、性急にやることはいかがなものかと感じたので。

やめなさいとは一切言わず。

「そうなんだー。偉いね!ビービー弾と何かを組み合わせたら、津波が来た時に、もっと役に立つかもしれないね!」

とつぶやいてみると、キッズたちから、津波を引き込むホースも出したいとか、いろんな案が出てきました。

とにかく、津波に負けたくないんだなー、、、大人たちの役にも立ちたいのではないか?少し、かわいそうな位、オトナに無理矢理ならざるを得ない状況なのではないか?と感じました。

そこで、彼らの「好きなこと・打ち込んでいること」を聞いてみました。

サッカー

小学校に、サッカー日本代表選手が時々訪れてくれた話になると、もう目がキラキラです☆

一方で、放課後、学校の校庭で遊ぶことが禁止となり、放課後の校庭で、みんなとサッカーをすることが出来なくなってしまったり、公園も津波で流されたのでボールを蹴る場所がなくなったりという課題が大きくありました。

もちろん、狭い道路を車が往復し信号もない仮設住宅の通り道での蹴球は禁止ですし、リフティングなども失敗すると仮設住宅にお住いの方々の植木プランターや壁、車に当たってしまうから禁止です。

週に一度の地域のサッカー少年団に通うことが出来てはいましたが、とにかくストレスが溜まっていました。

津波被害の影響で、ボールやプラシャツなどもない子たちがいる、キーグロなんて高くて手が出ない等々。

もちろん、今は、この課題は解決されたので、もう、ボール他のサッカーや蹴球関係アイテム支援は必要ではありません。

オトナたちに、いろいろと溜まっている不満や怖さ、不安を話してみた?と聞いてみると。

「お母さんたちも大変だから、自分たちが何か言って心配かけたくないから、言わずにガマンしている」

と。

これを、一回きりのボランティアでどうにかするということは、いくら教諭免許を持っている人でも無理です。

継続して、細目に様子を見て、「彼らと直接話をしていく」しかありません。

そこで、当時、サッカーやフットサル関係のみなさまのご支援をいただいて、アイテム他を月に1度程度ずつキッズたちに届けに行きました。

最初は「また来たのかよー!?」などと口も悪く、アイテムは自分の宝物にする!と奪い合うキッズたちでしたが。

「約束は破らない主義なんだよね♪」のわたしと、少しずつ信頼関係が出来てきたのか。

「キーグロじゃん!!! 少年団に持っていったら、みんなすごい喜ぶと思う!!!」

「オレ、これ、この前もらったから、少年団のコーチにプレゼントしようよ!!!」

など、誰かを自然に思いやる気持ちがどんどん出てきました。

タメ口・悪態が非常に多かったキッズたちでしたが(笑)、数ヶ月後には、「ありがとうございます!みんな喜んでいます!」と、敬語を使うようになったり。

気付いてみると、ビービ―弾は誰も手に持たなくなっていました。

サッカーやフットサルのアイテムをプレゼントするだけなら、どのボランティアさんでも出来る。

でも、T4にとっては、それらを1つのきっかけとして、コミュニケーションがより良くなること→みんなが安定することまでを目標にしています。

ただプレゼントするだけでは、キッズたちが、周りの大人に言えない悩みを打ち明ける場所さえなく、ビービー弾も手放すことはなかったでしょうし、荒れ続けていたでしょう。

それでも、なお、課題は残りました。

もう、彼ら自身の「チカラ」に望みを託すしかない。


「震災で、お母さんが働きに出なくちゃいけなくなったんだ。

だから、サッカー少年団、やめなくちゃいけないんだ。

送迎が出来ないから。

オレ、少年団の中で、絶対、誰にも負けたくないって思って一番頑張ってきたんだけどさ。

サッカー出来なくなっちゃった。。。」



「辛くない?」


「辛いけど、仕方ないんだよ。

お母さんも頑張ってるんだし。

お母さんに不満はないよ。

でも、オレからサッカーがなくなっちゃったら、どうしたらいいんだろう。。。」



「中学校に入るまで、あと2年だよね?

中学生になったら、部活でサッカーが出来る。

絶対に、諦めちゃダメだよ、そんなにサッカーが好きなら。

悔しいし、腐りそうになると思うけど、体力づくりや基礎練だけでも続けてみない?

中学に入って、みんなと一緒にサッカーやれるように、今は苦しくても、今やれることを地道にコツコツ続けてみない?

将来、絶対に、日本の国旗を担う選手になれるようにさ♪」


「・・・・・。。。。。

そーだね、やれるだけやってみるよ!

がんばってみる!!!」



その後、彼とは、敢えて再会していません。

あれから、彼の自分との闘いがどうなっているのか、すごく気にはなります。

でも、彼自身が決めることだし、揺れ動いてもいいと思うし、揺れ動かない子どもなんていないと思うので、変なプレッシャーにはなりたくないんですね。

来年、彼が中学に上がったら、「その後、どう?」ってそっと訪ねてみようと思います。


そういったこともあって。

また、2012年12月に津波警告・避難勧告が発令されて緊張や疲れが溜まっているオトナたちの社会を鏡に映すかのように。

2013年2月、ビービ―弾よりレベルアップした空砲を、キッズたちは手にしていました。

言葉遣いの悪さ、遊ぶ時に必ず空砲以外に武器を持つ他、ひらっちは完全にキッズたちの空気にのまれてしまっていましたね(^_^;)

どーなるのかなー、いったい、キッズたちの中で何が起きているのかな?と様子をうかがいながら、完全アウェーで一人負けしていたひらっちが怪我をしそうな勢いでもあったので、ちょいちょい言葉かけをしていましたが。

もちろん、キッズたちに主眼を置きつつ、足湯に来てくださっているオトナたちと仮設住宅に住むご近所さんであるキッズたちとの仲が冷え込むことがないようにということも考えました。

こんなこと、初めて会うオトナである県外のおばちゃん!?のわたしに言われたら、キッズたちはもっと反抗的になるかな?という不安もありましたが、もう一か八かでしたね。

あーだこーだとわたしからチクチク言われたり(笑)、そうしたいと思うなら、これこれこうしてみるか、あーしてみるか、どっちかを選んでみてと言われてみたりで、キッズたちが嫌になっちゃうかな?と思いもしましたが。

空砲を手から離すにまでは至ることが出来ませんでしたが。

最後は、キッズたちが、ベターっと抱き着いて離れなかった。

今回は、一度きりの簡易対応となりましたが、キッズたちの心が癒えるには、まだ相当時間を要しそうです。

そして、キッズたちが、わたしたち県外から来たオトナボランティアたちに言えるけれど、周りの大人たちに言えない悩みを抱えている状況を変えるには、やはり、被災地のオトナたちのケアが一番優先されることなんだと考えています。

周りのオトナたちが癒しでリラックスすれば、少し心のゆとりが出来て、キッズたちのことを見守ることに厳しさを今までよりは感じることが減ってくれることでしょう。

キッズたちが、日本のキッズたちと同じように、自分自身と闘わなければいけない時は仕方ないけれど、それ以外では、周りのオトナたちと良好な関係を築けて、親御さん以外でも相談できる人がいるとか、そういった状況にになることが、キッズたちにとっての復興なのではないかと思えて仕方ありません。

オトナたちに少しでも癒しを・・・。

それは、将来を担うキッズたちの安定にもつながるということを、みなさんに忘れてほしくないなと感じています。



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