11月度活動報告 おの

投稿遅れました。 もう新年を迎える季節になってしまいました。
すみません。
11月の活動に参加させてもらった感想を書きます。
まず、今回参加させてもらったいきさつから。
しげさんと久しぶりに会って、今震災ボランティアに参加しているとのことを聞きました。
まだまだボランティアの手が必要で、復興も一向に進んでいないとのこと。重機や人手が足りず、瓦礫がまだまだ残っていることなどを聞きました。
その時私の胸に去来したのはあの時の恐怖の記憶、もう死ぬかもしれないと思った経験したことのない大震災、そしてテレビで見た想像を絶する大津波によってなすすべもなく飲まれていく人と街。
私はその時何もできず、ただ自分のことで精いっぱいで、被災地の方々のことに思いを寄せるのはそのだいぶ後のことでした。その時はいくらかを他のボランティアに寄付することで、力になりたいとは思いつつも、ほとんど何もせずに今まで過ごしてきました。
今から思えばその時が一番被災地の方々が助けを必要としていた時だったし、自分に言い訳をして何もせずにいた事が悔まれます。自分が行くことでその時どれだけの人の役にたったことか今となっては知りようもありません。
そんな時このボランティアの話を聞いたのです。今もまだ復興は進んでいないこと。風化によって、日本の人々から震災の記憶が消えつつあり、そのせいでボランティアの人数も減り続けていることを知りました。
だから今こそ役に立つべき時が来たのだと思い、参加を希望させてもらいました。
次に今回の活動についてですが、亘理郡山本町のイチゴ農園さんの手伝いをさせていただきました。
私は現在農業の仕事に携わっていることもあり、この分野では手伝いできることも多いと思いましたので、これはうってつけだと感じました。ただ、1日という短い時間のなかでは手伝と言うよりは足手まといになってしまうのではないかと不安もありました。実際には手伝いはビニールハウスの中で掃除をしたり、水やりのチューブの微調整などの仕事で農家の方に面倒をかけるようなことはなかったのですが、あまり実感としては手伝えたかどうかは疑問に感じます。
ですが、実際に被災地に赴いてみて見方が変わったこともだいぶあります。それは現地での産業へのダメージはかなり大きいということです。宮城県南部では農業が主要産業なのですが、津波による塩害で今も作付ができていないところが相当ありました。象徴的だったのは津波の防波堤として機能した高速道路の高架によって、作付出来ているところとそうでないところがくっきりと分かれていたことです。宮城県南部の海岸線に沿って走るこの高速道路はまさに震災時のみならず、その後の生活基盤に及ぶまでの命の分かれ目、分岐点のようになっていました。
また仮設住宅でのお話も伺い、原発事故による風評被害によって農作物の価格が暴落していることや、イノシシなどが猟ができないことで数を増やし、農作物を荒らす被害も増えてきているとのことでした。農業での産業復興を目指すのは大変な道のりのようです。
ですが、今後の見通しは必ずしも暗いものではないように思います。それは私の感じたことですが、この地域であるイチゴのハウスの規模や栽培手法をみたからです。私の従事している農家周辺ではもっともっと小規模なハウスで、効率も必ずしもいいとは言えないように見えるやり方でイチゴをつくっていますが、収量はともかく生計は成り立っております。そこよりも1ハウスあたりの面積も何倍もおおきく、且つ施設が半自動化されて徹底した省労力化が図られておりました。初期投資が大きい点や、1農家だけの経営ではないとしても、こうしたシステマティックな最先端農業を行っていけば、やがて生産量を伸ばし、経営も軌道に乗るような気がします。加えて、この一帯のイチゴは仙台イチゴというブランドも持っていると聞きました。東北地方から北海道にかけてはかなり知名度があるそうです。こうした強みをうまくいかしていけば復興は早く進むのかもしれませんが、いずれにしろあと3年以上はかかりそうです。この時点でもイチゴの出荷の最盛期であるクリスマスケーキ用の出荷はできないという話でしたので。
ともかく私はこれからも復興しつつあるこうした姿を見続けて、頑張る彼らを応援したいと思います。被災地は産業面で縮小するのではなく発展していくことが可能であると私は思います。それを伝えていきたいです。たとえそれが非常にわずかな活動であったとしても、だれかがそれで希望をもってくれればこのボランティアに参加する意味はあるのではないでしょうか。
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11月活動報告

しげです。

 8月に行った宮城県のボランティア。

そこでお手伝いさせていただいた半澤農園さんにまた行くということでまたご一緒させてもらいました。
被災されてからもうすぐで2年。まだまだ復興には時間がかかるという印象をもっていました。

一応・・・小学校教員をしている自分。

子どもたちに宮城の今の現状を伝えて,何か子どもたちにもできることをやらせてあげたい,かかわらせてあげたいという思いで「半澤農園さんへ手紙を書こう」という題目で道徳の授業をしました。
茨城県に住む私たちも震災直後は停電,断水等何日間は生活に支障がありました。

そこで震災直後の自分たちの生活を振り返りました。

「体育館のライトがすごく揺れて怖かった」

「トイレが流せなかった」

「家の中がめちゃめちゃになった」・・・

では今の生活はどうなのか。

なかには放射能の心配があることや地震で夜すぐ起きるようになったという声がありましたが
震災前の生活にもどっているという子どもたちの意見がほとんどでした。

そこで半澤農園さんの話をしました。

震災直後の半澤農園さん

夏にボランティアにいった時の半澤さんファミリーのこと

現在の半澤農園さん

子どもたちは真剣に聞いてくれました。

最後に

「半澤農園さんを元気づけるために手紙を書いてくれるかな」という呼びかけに

「書くーーーーーーーーー!」

と答えてくれた子どもたち。

ありささんが画像をアップしてくれたように子どもたちが表紙までデザインしてくれた(自分はそういうのが苦手なのでいつもそういうことは子どもたちがやってくれます)
手紙をもって半澤農園さんへ。

ところが行ってみると連絡の手違いで半澤農園さんは今収穫時期でボランティアの仕事はないということで手紙を渡して紹介された他のいちご農園のお手伝いに。

作業途中に自分の携帯に半澤農園さんのお母さんから留守電が。

「子どもたちに返事を書いたので夕方うちに寄ってください」

夕方半澤農園さんに行って初出荷のいちごをいただきながらお話をしました。

子どもたちの手紙をたいへん喜んでいただけたみたいで中でもお父さんが手紙を何回も繰り返し読んでいることが印象的でした。

帰るときにお父さんが自分のところにきて

「生徒さんによろしくお伝えください。ありがとうございました。」

お母さんが手紙に

「いちごの花言葉通りに,わたしたち家族は幸せそのものです。いちご農園をやっててよかった」

子どもたちのパワーはすごい!

帰ってから子どもたちに手紙を渡したこととその時の様子を話しました。

うれしそうにそして誇らしげに話を聞いてくれた子どもたち。

みんなにありがとうの気持ちでいっぱいです。


今回のボランティアでありささんとめずらしく!?真剣な話ができました。

震災のことが風化されているから今の現状。

だからこそこそボランティアの力が必要だということ。

TEAM4Uの活動の意義。

力仕事が必要だという考えをもっていた自分の考えが一新されました。

家族や近所の人には話できないことを県外から来たボランティアに話を聞いてもらう。

その精神的なケアが必要だということを聞きました。

正直8月に出島に行った時は「自分はいったい何をしにきたのだろう。」と活動の意義が分からず、こういう活動だったらまたボランティアに行こうという気持ちになれませんでしたがありささんと話をして考えることがたくさんありました。

ありささんがよく言う

細く長く

ぼくもボランティアを続けていきたいと思います!




















マイ・クリスマスイルミネーション

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メリークリスマス

みなさま、こんばんは!

サンタさんを何歳まで信じていましたか?

あーんど、サンタさんを信じているキッズたちのために奮闘している、ママさん・パパさん・じぃじ・ばぁばのみなさま、いかがでしょうか、成功しそうでしょうか♪

T4代表ありさのブログが続いていますねー(笑)。

最近のワタクシといえば。

一人暮らしを始めたのですが、寝室であるロフトの階段から見事に落下いたしまして。

ギプスまでは使わなかったのですが、固定・両松葉杖で絶対安静の下、餓死しそうでした(^_^;)

そんな過酷な目に遭っている代表をよそに。

メンバーみんな、ブログ、サボってますね(笑)。

次回こそは!!!

乞うご期待です☆


さてさて。

前回ブログでは、問題提起のような濃い内容でしたので。

今日は、クリスマスと被災地の今を語ってみたりしたいと思います。

写真があるはず!と思ったら、ワタクシのスマホの充電がもたなかったらしく、肝心の写真がないんですよーーー。

次回以降のブログでは、メンバーが素敵な写真をアップしてくれると思うので?楽しみにしていてくださいね♪

さぁ、写真なしで、みなさんの心にどこまで届くのか。

ワタクシの新たな挑戦ブログです。


クリスマスプレゼント…とは、特に意識していなかったのですが。

こんなクリスマスプレゼントは、いかがでしょうか?

サンタさんにお手紙を書いたキッズ時代・今キッズのみんなもいると思います!

2012年8月に、宮城県亘理郡山元町「津波被害に屈しない半澤いちご農園」さんに、いちご栽培ボランティア活動に入り。

大ファンになったメンバー・しげきちくんが、いろいろと考えをめぐらせていたのを、11月初旬のMTGで聞いていました。

T4代表のワタクシは、思いつき&勘で生きています(笑)。

いいんじゃないかなー♪ やってみたらいいよー♪

そんなサクっとな勢いで(笑)走り始めたしげきちくんは、学校の先生でもあります!

しげきちクラスのキッズたちから、ちょぉっと早いクリスマスのお手紙文集になったでしょうか☆☆☆


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デザインとか、全て、キッズたちの手作りなんですよー♪


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わたしたちは子どもだから、実際に農園にお手伝いに行くことが出来ないけれど

自分たちにも出来ることがあると知って、嬉しかった!


そんな言葉がたくさん並んでいました。


しげきちくんは、おバカちゃんですが!?担任のふり見てわがふりなおせなのか、キッズたちなりに一生懸命考えた素直な言の葉の数々は、熱い魂がこもっていました。


わたしたち大人のほうが、仕事が忙しい…とかを理由にして?震災を忘れかけてしまっているのでは?と、子どもたちから教わったように思います。


自分はどうだろう???

みんなはどうだろう???

間違っていないかい???


そんなことを痛烈に考えさせてくれたしげきちクラスのキッズたちに感謝☆☆☆

T4メンバーたちも、いちご栽培のお手伝いをさせていただいたいちごちゃんたちが実りまして!

なんと、偶然にも、お邪魔させていただいたこの日が、農園さんの2012年度・いちごちゃん初出荷!!!


写真は☆半澤いちご農園特製・甘熟いちごちゃん☆なんです(*^_^*)


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とくおお父さん&けい子お母さんのご厚意をいただきまして、2012年度・初出荷記念ーーー♪


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あー、今年もこの美味を味わわせていただけるなんて、どれだけ贅沢で幸せなことでしょう!!!


ワタクシの背後で、ウインクしているお方、T4のポスターになっていただきましょうかね。

いちごちゃん美味さ伝道師・日本代表選手として(笑)。

このお方、こんなに好青年っぽく映えていますが、突込みが鋭すぎるのと殺戮的な瞳は、世界でも通用するほど怖いです(笑)。

真面目で熱く、アタマの回転がとにかくよく、すごく優しいしお茶目さんなのに、あの殺戮的な瞳は、怖いったらないですよ♪

個性派満載のT4でも、初のキャラですね!!!

代表のワタクシが教えた殺戮的な瞳ではないので、お間違いなくぅ♪


半澤いちご農園さんで嬉しい再会やお話で笑ったり真剣に考えさせていただいたりした後。

冬の訪れな山元町から仙台に向かいました。

高速道路でわたしたちの心に飛び込んできた景色は。

2011年11月の真っ暗な町ではなかったんです!!!

ポツリポツリと灯りが!!!

農業をやっているおのっちが、「あれ、ハウスの灯りじゃないのかなー」って。

山元町は、宮城県の中でも復旧や復興が遅れてしまっていることは重々承知していたわたしは驚きました。

「違うんじゃない?復旧業者さんとか、工事中の点灯なんじゃない?」と、おのっちの言葉をにわかに信じることが出来なかったんです。

みんなで、めっちゃ見てみました。


「これ、絶対、ハウスの灯りですって!!!」


物腰やわらかく、冷静で、頭のよいおのっちが宣言するなら間違いない。


1年前、亘理郡山元町から亘理町にかけて、こんなにハウスはなかったんですね。

2012年6月に初めて訪れた山元町では、まだまだ側溝の泥だしに奮闘していました。

秋になっても、冬の訪れ11月になっても、力仕事の需要がたくさんありました。

あれから1年の時間を経て、ハウスがどんどん増えていることはわかっていました。

でも、まさか、夜のハウスに灯りが灯るなんて。。。


「これは、T4の今回お留守番だったみんなにも目で見て感じてほしかった」


それ以外の言葉が見つからないほど、胸にこみ上げてくるものがありました。


実は、半澤いちご農園さんにお邪魔する前の仮設住宅での活動で、嬉しく幸せな再会があったのと同時に、やり切れない悔しさも感じていた代表のワタクシ。

これが、被災地の現在&現状なんだと突きつけられ、どうにかならなかったのだろうかと、なんで気付けなかったんだろう?と本当に悔しくてたまらなかった。

でも、ハウスに灯る灯りが、ホワイトクリスマスのように、雪降る街並みのように。

「これで終わるの?悔しかったらもっと努力したらいい。また帰っておいで」

と励ましを贈ってくれているようにも感じました。

写真が手元にないのですが、一生忘れられない。


代表ありさのクリスマスイルミネーションとなったのでありました。


少しずつだけれども、ゆっくりかもしれないけれども、一歩ずつ復旧・復興している山元町。

課題がたくさんあるけれども、負けずに歩みを続けている町の方々。

わたしも、負けているわけにはいかない。


どうしたら良くなるんだろう???


毎回、ボランティアにお伺いするたびに、そう考えさせられ、どうしたら良くなるんだろう???が尽きることがありません。

震災から1年9ヶ月を経た今もなお、町の方々にたくさんのことを教わりながら、どうしたら良くなるんだろう???の繰り返し・連続しかありません。


細く長く


簡単そうだけれども、全然簡単ではないし、現実は甘くない。

それを一緒に越えようとしてくれるT4メンバーたちと共に歩めること。

おっぱい星人♪とかふざける時はひたすらふざけている、わたしたちT4を迎え、受け入れてくださっている町の方々の心の大きさ。

そんな∞なご縁と感謝で、2012年のクリスマスを迎えられるわたしは、すごく幸せ者なんだと思います。


今日は、クリスマスなので、悔しかったこと・被災地の現実のお話は、次にワタクシが書くブログにて。

みなさんに、幸多かれ☆☆☆

11月のT4~福島県・新地町☆情報交換会~

約、一年ぶりに、福島県の新地町・仮設住宅自治会長さん&町議員さんである、三宅さんにお顔出ししてきましたー☆

思い付きで、渋滞がないなら、新地の三宅さんに会っておきたいな!と、呟いた代表に、イエス!してくれた、しげきよおのくん…さて!まるで1セットみたくなっていますが、本当は何人でしょう(笑)!?…に、多謝♪

ちなみにー。

帰路で、ワタクシ代表が、ナビの自宅を、うちにしてけろ♪と呟いたら、殺戮的な瞳で見つめられたことは、言うまでもありません(^-^)v

おー!怖っ(((・・;)

代表の職権濫用が、もっと通用するように精進していきます!


さてさて、1年ぶりとなる福島県・新地町。

いつもは、仙台から東部有料道路を大幅に使ってしまうのですが、今回は下道で。

宮城県の山側の道を行く~☆

曇っていたのが残念でしたが晴れていたら紅葉を素敵に楽しめていました。


三宅さんは、奥さま&かわゆいお孫ちゃんたちが、キャンプ旅行に出掛けてしまったから、今日の夕飯はひとりなんだーと、少し寂しそうでした。

あんなに、かわゆいお孫ちゃんたちと、優しい奥さまがお留守だと、確かに寂しいですよねー。。。

娘さんにも1年ぶりにご挨拶!

お孫ちゃんたちが、ママの手作り表札が素敵でしょと照れながらも誇らしげにしていた、あのスマイルも素敵な三宅さんの娘さん♪


今回は、仮設住宅の集会所で、三宅さんと、わたしたちで情報交換会をさせていただきました。

懐かしい、この仮設住宅の集会所。

2011年残暑に寄せていただいた時には、仮設住宅の仲良しなみなさまがワイワイと遊びに来てくださって、本当に素敵な優しい空気でいっぱいでした。

みなさん、同じ集落から来ておられているから仲良しなんだー♪と。

年齢や男女問わず、下の名前に「ちゃん」を付けて呼びあう間柄。

グリーンカーテンで育った、綺麗で立派なゴーヤをお土産にいただいた時は、ゴーヤ大好き☆なワタクシ、大喜びでしたー(*´∇`*)

今回は夕方に到着、しかも寒かったのもあって、仮設住宅の通りに出ている方はいなかったのが残念でしたが。

三宅さんにお聞きしたお話は、本当に考えさせられることばかりでした。


2011年の夏や、1年前にお会いした時より、課題が、どんどん深いもの・将来を見据えたものになってきていました。

2011年の夏には、放射能が、空気中に舞っているなら、ピンクや黄色とかの色で目に見えたらいいのにねぇ…と、おっしゃっていたみなさまでしたが。

1年前は、やっと、津波で家を失った方々の土地を、地価の何割で買い取ってくれるかが決まって、ものすごく前進した!安堵した♪とおっしゃっていた三宅さんでしたが。

あれから1年。


土壌の入れ換えは新地町では総て終わり、計測でも問題がない☆☆☆

新しい住宅を建てる坪数が、各ご家庭で決まった☆☆☆


…あら!?1年経って、まだまだそこのステージかぁ(>_<)…


坪数が決まったのはいいけれども、今までのように広いお庭があるとかではなく、まるで、首都圏の細長い土地にすし詰めのように家屋を建てるしかなく、お隣さんとの隙間も少しだけ。

この環境の変化に、高齢な方々が、すぐに慣れるのか不安を感じる。

山を切り開くしかなく…津波被害に遭った土地には家屋を新設出来ないため…、盛り土に家屋を新設することになる方々の不安や抵抗感の強さ。

家屋や町営住宅を建てる!のは良いけれども、東北3県が同じ状態なため。



資材がない または 高い



大工さんが足りない…復興建設のために数年間だけ大工さんになる方々が少ない…



重機が足りない



とゆー現実を、日本の国民のみなさんは知らない。



こういったことなどの要因から、復興計画通りに家屋新設が進まなかった時に、仮設住宅には二年間しかいられないという震災初期の条件に変更がないとなると、極めて生活困難な状況になるから、そうならないように何とかしないといけない。



福島県・新地町は、仙台に電車で出ることが出来た地区だったため、仙台に通勤している方々や、仙台に通学している方々がたくさんいます。

逆に、郡山他の福島県内の中心部に出るほうが大変だった町です。

しかしながら。



JR 常磐線の復旧が遅れている


何年先になるのか全く見えない



新地町などの福島県では、どこに鉄道を走らせるか、もう決まっているのですが、宮城県の隣町の一部の地区の地主さんが首を縦にふってくれず、福島県・宮城県共闘が進まない。

JR も、赤字になり国からの補助が出るのを待っているのか、進捗に積極的ではない。

そういった先の見えない不安や不便さから。


若い世代の、新地町流出に歯止めがかからず、こんなに仲良しばかりの仮設住宅の方々も、合計で十数世帯が新地町を離れてしまった。



1年前には、そういったことも覚悟して、最後までこの仮設住宅の住民の行き先が決まるまで自分は残る!それが、わたしの信念なんだよなぁ♪とおっしゃっていた三宅さんも、さすがに寂しそうでした。



若い世代に、新地町ならではの農業を…と言うのは、放射能風評被害で、市場で安価にされてしまうことを考えたら出来ない。

若い世代や、震災で仕事を失った方々、風評被害で潰れてしまった漁業に就いていた方々の仕事は、復旧や復興関係の職種では長い将来行き詰まるため、産 業や雇用をどうにかしていかないといけない。



そして、ずっと抱えている放射能→風評被害の根深さ。

せっかく育て、収穫した野菜。

検査でも大丈夫だったのに、今回は市場に出さないでくれと言われてしまい、廃棄するしかないこともある。

ハウス栽培であっても、検査合格でも、福島産というだけで、まだまだ、このような状態が続いている。

福島県に住む人たちも、日本の県外に住むみんなも、放射能が怖いのは同じだから、福島産の食物は遠慮したい気持ちは痛いほどわかるけれども、いつまで続くのか先が見えない。

そして、きっと、日本のみなさんには、これらは知られていない。



新地町では、山の猪や雉を狩猟して、楽しんで食する文化もあった。

ところが、ある日、猪を狩猟して美味にいただいたじいちゃんから、高い放射能検査結果が出てしまい、それをきっかけに、狩猟する楽しみや文化も失った。

すると、山から里へ、どんどん猪などがおりてきてしまい、道を群れて歩くようにもなってしまった。

畑の作物を荒らしたり、何より、猪の群れが道を歩くようでは、危険が高い。

ハクビシンも増えており、ハウス栽培を荒らしたりする。

狩猟して山へ戻すことも話し合ったが、美味に食するわけにはいかないため火葬するしかない。

猪一頭の火葬代が。


6万円!!!


誰が払うんだー???


猪は、山の土深くに染み込んだ放射能を含む水分を何らかの形で摂取している可能性もある。


火葬したとして。



灰は、どこで、どうやって、処理したらいいんだー???



復興予算の仕訳とやらが流行しているけれども、仕訳されちゃいそうだよね、猪の火葬代とかなんて。

でも、実際に生活していたら、大問題だし、震災前・放射能問題がなければ、こんなことにはならなかったわけだから。

そうした、リアルな声を何も聞かずに、仕訳とかされたらどうしようもない。

解散総選挙…今までと内閣の顔ぶれが変わったり、 復興予算の仕訳が激しいものになると、今まで積み重ねて来たものが一からやり直しになったり、本当に町の人々のためになる復興予算まで仕訳されない か、非常に心配。

それに、どの政党も、消費税や尖閣諸島他課題、沖縄の課題は政策の目玉としているが、復興について目玉としてくれている政党がないんだよ!



関東以南では、報道でも被災地の現実を公開することが減ってきたから、人々の気持ちの中の風化がどんどん進んでいる。

報道他では、よいことしか取り上げていないとさえ感じるのは、ちょっと背中が寒くなります。

そして、風化が進み止まらない反面、風評被害だけは、こんなに強く残っています。



日本のみんなが、良いことも良くないことも、福島県のみなさんと分かち合って、震災の被害から目を背けずにい続けること

その覚悟を決めること




これが、おうちでも出来る震災支援ボランティアの1つなのではないかと強く感じました。


東北3県とその他地区のミスマッチ・溝の苦しみから、新地町のみなさんが少しでもリラックス出来るといいよねー。

来冬は、三宅さんの仮設住宅で、T4足湯ボランティアやりましょう!

そう声をあげて、三宅さんと、しばしのお別れになったのでした。



震災から1年9ヶ月…。

まだまだ、震災は終わっていないのです。

日本中のみなさんと一緒に、ワタクシどもも、考え、歩みを続けていきたいです。

みなさま、どうぞ、細くとも息の長い応援を、よろしくお願いいたします。



追記

過日の東日本大震災の余震とうかがえる地震と津波警報・注意報により、新地町でも避難指示が出されました。

宮城県に近い福島県なだけに、放射能の不安だけではなく、余震や津波への緊張感も非常に高かったと思います。

ご心痛いかばかりかと案じるとともに、町のみなさまが体調を崩されませんよう、T4一同心よりお祈り申し上げます。
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