千年に一度の町の復興祭~3月20日~22日~

今年は花粉+風邪が激しくて、バイトをお休みいただくことが増えているT4代表です。

実は、母方の本家 大阪府堺市の伯父が亡くなったり、父方祖母がちょっと入院したら更に認知症が進み…も重なってましたー。

3月20日~22日、宮城県から大阪に飛ぼうか迷いましたが。
祖母の今後のことで両親が多忙を極めており、両親が、わたしが関東に戻ってからではないと大阪に行けない状況であったので。

これも、伯父が「宮城県で千年に一度の復興祭を町のみなさんと一緒に祝い、哀悼しなさい」と言ってくれているのかなと思いました。

大本家の和歌山にも母は帰ってのんびり姉妹で語らいたいとのことだったので、両親がどうしたいかに合わせるのも親孝行かな?と。

そんなわけで!?

3月20日夜、まずは、仙台にただいまーしました♪

もちろん、いつもお世話になっている「ゲストハウス梅鉢」さんです!

梅鉢さんへの前乗りは、代表&相方めおとときくりんの3人!

相方くん&きくりんは、イビキの奏でがジャイアンコンサート的に素晴らしいので(笑)、この日は、梅鉢さんのプライベートルームに3人同室にしていただきました☆

が、相方くん&きくりんの「男同士の修学旅行」となってしまい、話が尽きることがなかったようです(笑)。



この日は、服代表(笑)&彼女ちゃんは、転勤で仙台に在住している幼なじみさんと合って、服代表&幼なじみさんが呑んだくれており(笑)、服代表に明日の出発時間&集合場所の電話をしたら、楽しすぎる酔っぱらいで意味不明でした(^_^;)

彼女ちゃんに電話を変われば良かったー(^w^)

実は、この日の夜、梅鉢さんに宿泊していたゲストさんの中で、明日、ご都合がよければご一緒しませんか?のお話をさせていただきました。

機会をくださった梅鉢 敬子さん、ありがとうございます!

すると、奇遇なことに。

「震災後しばらくして、医療福祉関係職の求人があったため、関東から、その町に移り住み仕事に従事していました。

でも、実は、外からの人には冷たいというか、独特な町の雰囲気があり、1年半がんばったがやはり馴染めず、今は関東の医療福祉関係仕事に戻りました。

明日、一人で行こうと思って梅鉢さんに来たのですが、町で、みんなに出会ってしまった時のことが不安で勇気が小さかった。

T4のボランティアとして、一緒に行かせてもらってもいいですか?」

とゆー方がいらっしゃったり。

「この町には行ったことがないけれど、お話を聞いて、ぜひお昼までご一緒させてください♪」

とゆー方に出逢えました。

21日、このお二人と、前夜仙台の街中で呑んでいた3人と合流&しゅっぱーつ☆

去年の夏ぶりに町に到着すると、また道路が新しく出来ていて迷路だったり(笑)、復興住宅を建設するために「切り土」や「盛土」が行われていたりで、風景がガラリと変わっていました!

「切り土」をしないと、復興住宅を建てる土地がないのですね、この町は。

山が切り開かれていく風景は、少し切なくもありましたが。

仮設住宅や親族のお宅で避難生活されているみなさまが、早く、復興住宅に移れるといいですね♪

そして、3月21日がJR石巻線全線復旧!の日&記念式典が開催されるとあって、すごいたくさんの町民の方々や関係者の方々がいらしていました。

そんな中、見かけた風景は。



震災後すぐから、女川町は町民以外のボランティアは一切受けていませんでした。

町に住む知り合いさんがいて、町の社会福祉協議会の電話番号が抜き打ちで何度も変わっても、町の知り合いさんから新しい番号を手に入れられる人間ではないと、ボランティアには受け入れていただけませんでした。

心を開いていただくまでに、通い続けて数ヶ月かかりました。

町の方々は、女川町は石巻市と一緒にしないでくれ!自分達は自分達の力で復興するんだ!!!と誰もがおっしゃっていました。

T4ボランティアは、全部自腹&割勘なのでお金はかかりますが、逆に、自由があります。

町の方々の本音を聞いて(嘘を回答したらすぐに見破られて信頼していただけないので嘘はつきません)、町のことを教わり。

社会福祉協議会の方々はもちろん、町のみなさん、T4内で、どーしたらよくなるだろーを積み重ね。

じゃ、これをやるかい?となって当日を迎えますが、あー、やっぱり、今日は、これをしてほしい!と町からリクエストがあれば、それに呼応出来る自由があることは、今振り返っても、本当に大切なことだったように思います。

NPOとか、なんちゃら団体ではないT4は、気を使わないで済む☆ので、集合写真を撮らせてください!とか、町の方々の気持ちを無視したこともしなくてすんでいます。

その代わり?社会福祉協議会を辞めれた方とは、今では個人的なお付きあいができていますし、町の中で4年以上のお付きあいとなったみなさまとも、同じです!

町の子どもたちは、どうしてるかというと。



町に住む中学生&高校生たちが主役で、みんなで、課題解決に向けて歩むことが出来ています!

女川町の教育委員会さんや教諭のみなさん、本当に心を砕いて子どもたちが主役であるようなカリキュラムも組んでいます。

町には、昔ながらの算数等の寺子屋塾のようなものもあり、小さな子たちの学校外での教育環境も、町のみんなでやる!と確立してます。

町の若い世代が、自分達の町は自分達で生まれ変わらせよう☆と、仕事の傍ら、ボランティアとしても活躍していますし。

町のシンボル&期待の星 ⚽ コバルトーレ女川 ⚽ の活躍でスポーツの楽しみもあり。

コバルトーレ女川のキッズクラスには、町のサッカー少年少女がたくさん通っており。

監督やコーチがキッズたちを守りながらサッカーを楽しんで、保護者の方々からの信頼も厚いです。

桜守の会は、女川町を10万本の桜の町にする、町のシニアボランティアさんたちの集いです。

町のシニアボランティアさんと、町のキッズたち&保護者の方は、素敵な関係を築けています☆









「わたしは、さんまの絵を書くの!」

「わたしは、ももクロって文字で書いてもいい?」

女川のキッズらしさ満載♡








そして。

女川町の祭りと言えば、獅子舞!!!

こちらも、初代頭が、町の若い世代や小さなキッズたちに伝統を守りながら継承していっています☆




震災から5年目になりましたが。

県外からのボランティアのヘルプは全く要らない町になりました!!!

本当に、心から嬉しいことです!

だって、震災前のみなさんの「日常」が、この町に戻っているからです(*´∇`*)

震災があった1年間は、非日常のことばかりでしたが。

さすが、女川、町の方々の気持ち最優先&町の方々が主人公のコンセプトの下、県外からのボランティアを無造作に受け入れず、わたしたちT4にも継続性&細く長くの宿題をくれただけのことはあります。

ボランティアなんていなくたって、俺たちだけで復興出来るんだからな!

と、わたしに本音をストレートに語ってくれたお父さんの言葉通りになって、本当に嬉しい!

では、次回は。

電車復旧記念式典…須田町長も、主役は町の方々とおっしゃってました~♪…や、記念電車発車場面、女川のオススメ美食(お小遣いたくさん用意しておいてくださいな(笑))なども併せて綴りますね!?
スポンサーサイト

ぐらぐらの日のねこちゃんたちのお話を神妙に聞きました~震災から4年目~

T4代表です。

引越を終え、今週から専業主婦業にプラスして始めたアルバイトから帰る電車の中から、今日は夕日が見えました。

なぜだか理由は説明できないのですが。

震災から5ヶ月、神奈川県に遊びに来れた宮城県在住の友達が呟いた言葉が鮮明に蘇りました。


「夢や希望のある仕事がしたい!!!」


彼女は、震災で職場が壊滅してしまい、取り急ぎ生活するためにアルバイト2つを掛け持ちする日々が続いていました。


「生活のために選んだアルバイトだから、夢も希望もなく、とにかく仕事に就けたらいい・仕事に就けるだけでありがたいと思ってこの日々を続けているの。

それでも、今までのように、この仕事を通してこうなりたいとか、ああなってみたいとかの夢や希望が全くない。

2つのアルバイト掛け持ち生活がしんどいだけではなく、夢や希望がなく働き続けることも辛い」


あの日を境に、彼女のように「自分の努力だけではどうしようもなく、仕事に希望や夢を持ちにくくなってしまった」「仕事自体を辞めるしかなかった」方々はとても多かったのではないかなと感じています。

仕事に夢や希望を持っていても、震災前のようになるにはなかなか難しかったでしょうし、「まだまだ」とおっしゃられる方々や「今後の不安」をおっしゃられる方々は今も多くいらっしゃいます。

災害がなくとも、日本の雇用状況や、お家の都合、体調の都合などによって、「夢や希望」に満ち溢れた仕事をしている方々ばかりではないとも思います。

いろんな困難や壁があったり、嫌なことの1つがあるのも当然のことと思います。

それでも、わたしは、今回、今までの仕事経験を活かすことが出来て、楽しく働かせていただけている(錆びついているアタマがなかなか動いてくれず自分が嫌になりますが・・・)。

家庭のことをしながら働くことも出来ている。

仕事量が多いけれど、高給でなくとも、本当に幸せなことではないか。

介護や看護の課題はあるけれど、福祉制度や家族のサポートをもらえて、今のところ仕事と家庭のことに専念することが出来ている。

こんな風に暮らせる日々そのもの自体に感謝する気持ちを大切にしていきたいものです。

そして。


「高齢な方々のために・・・と事業創出をしていくのは賛成だけれども、若い世代にとっても良かれとなる道を目指してもらえたら」


といったお声もお聞きするので。

震災の影響を大きく受けた各地区のみなさまが、各地区の特色が生き生きと見え、様々な仕事に就けるようになることを祈ってやみません。

********

2014年の1年間も、震災の影響を大きく受けた県の地場の方々から、たくさんの様々なお声を聞かせていただきました。

一番心に残った声が、下記のような声でした。


「もう、被災者って呼ばれたくないんです。

被災者って呼ばれると、あの日のことを思い出すから。

もう、あの日のことを思い出したくない。

前に進みたいのに、被災者って言われると、あの日のことを思い出して前に進めなくなってしまう。

嫌なのに、あの日に引きずり戻されてしまう。

あなたに、この辛さがわかりますか?

被災者と言われ続けて差別を受けている気持ちになるんです!!!

わたしの何がいけなかったのですか?

わたし、何か悪いことをしましたか?

なぜ、被災者と呼ばれ続けないといけないのですか?

あなたに、この辛さがわかりますか?」


震災から4年が経ちましたが、震災の影響を大きく受けた県のみなさまのお気持ちは、おひとりおひとり、そして、その時その時「違う」ことを、改めて考えさせられた貴重なお声でした。


逆に「被災者は被災者なのだから、被災者と言われても何も気にならない」とおっしゃる方々もいらっしゃいますし。


「そもそも、自分は家も家族も無事だったし、仕事も失うことがなかったから、被災していないと思わないといけないのではないか?遠慮しないと」


「家も家族も無事で、仕事も失わなかったけれど、複数の親族を家に受け入れる等大なり小なり苦労等はあり、自分も被災者。それなのに、仮設住宅に入った方々ばかり優遇されているような気持になる時もある」


いろんな声をこの4年間で聞かせていただいていました。


「正解」も「間違い」も、よくわからない。

ゼロか100かではなく、白か黒かだけでもない。

グレーや20な毎日。


東日本大震災が遺した「復興への道徳の一過程」なのかなと、引き続き考えさせられます。

行きつ戻りつ、良かったと感じる時もあれば、辛いと感じる時もあり、それらを何かの形で時に表現しながら。


「少しずつではあるかもしれないけれども、前に進んでいる」


みなさまなのではないかなと感じています。

4年間、真っ直ぐに胸にグサッと突き刺さるようなお声もたくさんいただいてきて、どうしたらよくなるのだろうと考えてきましたし、自分の無力さに悔し涙も流してきましたが。


「まだまだ、自分の本音を誰にも話すことが出来ていない」


というお声をお聞きすることもまだまだあります。


「ごめんなさい、想像することを一所懸命努力することは出来るけれども、本当にあなたの気持ちをわかるとは言えないです」


とお応えするしかなかったり、静かにうなずくしかない時も多いのですが。


みなさまにとって

「今 自分は ココ」

とご確認いただくためだけでもいいのではないかな?と思っているので、どんなお声でもいただけるようなT4であり続けたいと思っています。

********

2014年9月に家族が増えました。

迷い猫だった「くー」です。

今、ちょうど1歳半位なので、くーさんは大きな地震などの災害に見舞われたことがありません。

くーさんに「お祈りの日」のお話をしてみたのですが、さすがに「お祈りの日」は難しくてわからなかったようなので。

「ぐらぐら と ざーざー の日 ねこちゃんたちは とっても 怖い怖いで 悲しくて淋しかったのよ。

ねこちゃんたちのお母さんやお父さんたち家族も とっても 怖い怖いで 悲しくて淋しかったのよ。

おねえちゃんや相方くんが くーちゃんと離れ離れになってしまうの。

くーちゃんが どれだけ おねえちゃん!相方くん!って呼んでも どこにいるのかわからなくなっちゃうのよ。

ねこちゃんたちは みんな がんばって 怖い怖いで 悲しい気持ちになったのよ。

ぐらぐら と ざーざー とっても嫌だね。

ぐらぐら も ざーざー も もう二度と来ないといいね。

もし ぐらぐら と ざーざー が来たら くーちゃんは おねえちゃんか相方くんにしがみついて離れちゃダメよ」

そう話してみました。

くーさんには難しい話だったのかもしれないのですが、写真のように、本当にすごく静かに神妙にお話を聞いていました。

かなり厳しくお説教されて反省している時のように静かにお話を聞いて。

お説教の時のようにシュンとするのではなく。

いたずらもせず、飽きた!と気を散らすこともなく、寝る!と言うこともなく。

親ばかかもしれませんが、いつも、興味のない話は全く聞かないか、遊びながら聞く子なので、何か感じるものがあったのかなと思っています。

1426058819772.jpg


1426058828362.jpg


改めまして、TEAM 4 U 一同、心より、お見舞と哀悼を申し上げます。


「ご遺体がまだあがっていないご家族の方々もいらっしゃるから・・・」


2014年夏に、静かにわたしたちT4に「課題」を話してくださった方のお声は、T4の道標となっています。

これからも、細く長く、お声かけいただいたことに真摯に誠実に応えていくべく、ご縁を大切にしながら、粛々と日々を送っていく所存です。

フットサルオーシャンカップ観戦後の超個人的感想・震災後からの自分と向き合ってみた~

なんだか、メンバーさんたちに「活動報告書いてねー♪」と依頼はかけてあるのですが、ゆったりさん勢揃いのようなので(-"-)

じゃ、もーいっか♪

代表ありさのプライベートブログでもアップしてしまえ~~~!?

とゆーわけで、去る5月22日・小田原アリーナで開幕した、フットサルオーシャンカップを観戦に行ってきました☆

2014小田原 海1


2014小田原海2


2014小田原 海3


電車からの車窓が美しくて、それだけでワクワクしますね☆彡


2014小田原オーシャン2


2014小田原オーシャン1


第一試合の仙台戦から、第5試合前半まで観戦し(小田原⇒自宅が遠い&直通電車の本数が少なかったので全試合見れませんでした)。


が、本当に久しぶりに、グッスリ寝れました!!!


わたしが震災後2週間後から災害・復興支援ボランティア活動を始めて、準備期間(プラン立てやチームメンバーとの共有など)・活動・活動後のブログでの報告・そしてまた次の活動準備へ・・・の日々を続けて4年目。

この4年間、フットサル観戦をどれだけ出来たか?と振り返ると、震災前がフットサル観戦メインの生活だったのに、片手の指折り数える程度。。。

それが日常的になりすぎていたんだなぁと、改めて省みることが出来ました。

全く後悔はないですし、被災地には新たに「んーーー↓」と考えさせられることも未だに数多くあるし、乗り越えたい自分の課題もあります。

もちろん楽しいこともたっくさんあります!

2012年の今頃、一人旅でアイランドホッピングをした時は気付かなかったですが。

ボランティアのこと以外でも、この3年以上、いろんな難しいことの経験もあって。

それでも、ボランティア中心の生活を送り・・・祖父の葬儀にも出ずとか・・・。


実は、先週位から、「抜け殻症候群」でした。


2014年度の活動で、T4としては「集大成」と決め。

その1回目の活動を終え。

安心したり、加齢した分の疲れがなかなか抜けなかったりで、なんにもしたくないなって日々が続いていました。

お腹はすくけど、ご飯も食べたいけど、買い物や作ることをしたくないし、眠りたいのに眠れない。

次回8月の活動プログラム構成も出来上がっていて、T4のみんなに共有したいと思いつつ、PCに向かう気力がわかない。

他に何かしたいことはないのか?と自問自答してみても、ないなーみたいな。


お友達ちゃんが小田原に遠征観戦しに来てると21日の深夜に聞いて。

すっごくコンディションも悪いけど、お友達ちゃんに会いたいなー♪と思ったのと。

フットサル、今年は観たいよねー☆と思っていたので。


体調コントロールを最優先しないと、次回の活動に響くことは百も承知ながら、おもいきって観戦に行ってみました!


お友達ちゃんとほっこりしながら。

第5試合前半まで観戦したのですが。


すっごく変わっていました、フットサル!!!


昔は、こんなじゃなかったよね、良い方向に進化してる、すごいなー☆と感じました。


わたしが4年間災害・復興支援ボランティア活動に明け暮れ、「どうしたら良くなるんだろう・・・」を繰り返していた間に。


Fリーグもどんどん進化していたんだなー☆と。


最初は、目の錯覚???かと信じられない気持ちでしたが、いや、どの試合・どのチームさんを見ていても進化してるんだから、錯覚じゃないよねと。

こういう良い刺激をいただける時間って、すごく自分には足りていなかったんだなって改めて感じました。


2014小田原 試合1


2014小田原 試合2


2014小田原 試合3


2014小田原 試合5


2014小田原 試合6


2014小田原 試合8


2014小田原 試合11


2014小田原 試合12


よく「東日本大震災のことを忘れないで」と聞きますが。

オーシャンアリーナカップの会場入り口では、「日本のガンについての募金箱スペース」がありながら、選手のみなさんが「宮城県のこども病院さん」にボランティアに行かれていた写真もたくさん掲示してあって。

(わたしと仙台のことについてお話をしてくださった女性の方、ありがとうございました!)

誰も、東日本大震災を忘れてなんかいないよねーと、新たに確信することも出来ました・・・前から感じていたことです。


自分だけの世界にいたら、なんだか「忘れられちゃっているのかな?」と思う時もあるかもしれませんが、自分だけの世界から一歩外に出てみたら、それは自分の想い違いだって、よく分かります。


ランチを小田原アリーナ外の緑の丘でいただいてみると・・・


2014小田原 ランチ


2014小田原 四葉


おーーー!!!

生まれて初めて、自力で四葉のクローバーを見つけました(*^_^*)


こうした小さなことに気付くか気付かないかは


自分次第


2014小田原 フットサルリボン 四葉


1つ200円、募金箱に入れると、日本対ガン協会さんに寄付され。

フットサルリボンを1つもらえます!

選択は、久光選手のお子さんでしょうか?女の子ちゃんが、「浜松、どうぞ♪」等とても自由な感じで選んでくれて(^_^)

ベルマーレが2つ・色違いという滅多にあり得ないキセキにも出逢えましたよぉ~♪

1000円札しかなかったので、オリンピック的に五輪+四葉のクローバー☆☆☆


わたしは、ボランティアが大切なんだから、働いて貯金もしなくちゃいけないし、フィジカルコントロール・モチベーションコントロールが最優先されるのですが。

だからこそ、抜け殻症候群のこの時機に、こうして、お友達ちゃんに久々に会ってまったりしたり(闘いの場でまったりお喋りをしてて、選手のみなさま、すみませんでした<(_ _)>)。

4年間で進化している各チーム・選手のみなさんの姿を拝見させていただけたことに、本当に「あ、こうじゃなくちゃ、人間じゃないよね、ボランティアと言っても要するに人なんだから、人としてを忘れちゃダメだよね」と感じさせていただけました。


みんな、どこかで進化を目指して日々努力している。


わたしも、単にボランティアのことだけを見て進むだけではなく、いろんな世界を肌で感じる時間も作ろうと思いました!


いやー、しかし、ボランティアもそうなんですが・・・と言うと、え?なんで?とイメージがわきづらいと思いますし、実際問題って体感・見学していただかないとわからないこともあると思うのですが。


一瞬の判断・選択


やっぱり、これって、すごい大切だなと!!!

経験を積み重ね、日々の積み重ねがないと、出来ないよねと。。。

ボランティアで、わたしも選手のみなさんを見習わないとねと感じました!


8月の活動までまだ少し時間があるので。

ゆったりと気持ちが上がってくるのを待ちながら。

いろんな疲れが抜けるのを待ちながら。

ちょっとずつ活動の準備も始めて。


五輪というか、もうすぐサッカーワールドカップが始まるから、釘づけになるのでしょうが(^_^;)


6月終盤のFリーグ開幕戦、楽しみに観戦に行こうと、今から楽しみにしています☆☆☆

心 は 糸 が紡いでゆく ~ 音楽・手紙・ギフト・仲間⇔ボランティア ~


簡単なことなんだ ― 心で見る 肝心なことは目では見えない

目には見えないんだ 心で探さないとだめなのさ

みんなが忘れていることだけど

それは、絆を作る、ってことさ・・・


”星の王子さま” ~サンテグジュペリ~ より



T4代表です!

寒暖差が大きくて、街ではマスク姿の方々をたくさん見かけます!

かく言うわたしも、落ち着いてきたものの花粉症アレルギーで喉を痛めているのですが(^_^;)

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?


さて、今日・2014年4月12日は、わたしにとってもT4にとっても特別な1日となりました!

まずは~♪


イオン北戸田店(埼玉県)で開かれた友近890(ともちかやっくん)のインストアライブに行ってきました!


友近やっくんは、書道家&シンガーソングライターです☆


友近890 オフィシャルHP クリック!!!


T4は、2012年3月11日(震災からちょうど1年目の日)に、仙台市高砂市民センターで開催させていただいた「ケニア⇔仙台 双方向哀悼会」活動の後に、仙台市にあるゲストハウス梅鉢さんで、やっくんと知り合いました。

その日、梅鉢さんでは、東日本大震災への哀悼の意を表するためにキャンドルナイトが開かれました。

やっくんは、気仙沼市にお住まいで被災されたお友達と会いながら、気仙沼市4ヶ所で歌うたいのボランティア活動をした後、梅鉢さんでのキャンドルナイトに参加し、梅鉢さんに集ったみんなのために&被災されたたくさんの方々に届くように、数曲歌ってくれました。


その日から2年以上経っての、埼玉県での再会!


細く長く・・・ボランティアさん同士の「糸」が、音楽&ライブで繋がっていく。


非常に良いご縁で大切にしたいと感じています♪

そして、こんなカタチのご縁「糸」は、やっぱり、T4らしいなとも感じています。

多くのボランティアさん同士の細く長く・・・のご縁について、改めて感慨深いものがありますね。

楽しみにしていた ♪友近890ライブ♪ は。


ちびっこからご年配の方々まで、年齢やジェンダーを問わず、ほっこり楽しめました!!!


アンパンマンやジャンケン大会あり~のだと、難しいお話はわからないちびっこたちが一斉にエキサイトしてジャンプしたりと身体を動かすことで言葉に出来ない嬉しい気持ちを表現していて、本当に楽しそうで、かわいいなぁと癒されっぱなしでした(*^_^*)

偶然座ったお隣さんとも、お互いに優しい笑顔でコミュニケーション出来るサプライズがあったり☆

もちろん、ちょっと仕事とか家庭のこととか人間関係に疲れる時もあるよねー・・・な若い世代が共感して元気になれるような楽曲披露もあり!!!

歌いながらの書字もあり!!!


さすが、音楽&書家コラボボランティアで、日本全国の高齢者施設さんや病院さんなどを1周されてきただけあり、やっくんならではのライブでした☆☆☆


やっくんが今日のライブでテーマにしていたことは 心 だったように感じます。


ちびっこたちには少し難しいお話だったかもしれませんが、中学生以上の年齢の方々は、やっくんの語りの深みに、おもわず、うんうん!と頷いでいました。





普段、あまりに何気なさ過ぎて、しっかり向き合うことが少ないなーと気付かされました。


心技体 という言葉があるように、心が一番なんですよね。


そんなわけで(笑)???

やっくんの書評が既についている、こちらの”友近890(やっくん)”グッズを購入させていただきました ↓


20140412_183214.jpg


あ、サインまでいただいてしまいました(^_^;)


そして~


20140412_184003.jpg


アルバムタイトルも こころ ♪


20140412_181339.jpg


お忙しい中、”1万人のエイ!エイ!オー!”にもサインをしてくださって。


またの再会を約束しての、細く長くの良きご縁を約束しての、パシャリ!


音楽っていいですねー♪

改めて、音楽&ライブが好きで良かったと思ったのでした。


そして、帰宅して郵便ポストを見てみると、普通の封書より大きくてふわふわした郵便物が。。。


贈ってくださった方は、T4が3年間の間、細く長くのボランティア活動をさせていただいた某町の復興支援センター(2014年3月末でクローズとなりました)のスタッフさんでした。


ビックリすぎて!!!

さて、どうしたんだろー???

何かあったのかなー。。。


ドキドキして開封してみると。


お手紙&某町ならではのかわいいギフトが!!!


3年間、こちらの想定が甘くていろいろとご迷惑をおかけしたり、何より、大切なことをたくさんご教授いただくばかりだったので、わたしたちT4を受け入れてくださったことが本当にご負担ではなかったか?といつも省みる日々でした。

お手紙に、もっとしっかり学んで準備して来てほしかったなどのお言葉があったとしても、甘んじて受け止め、お詫びの気持ちと、今後の更なる成長のお約束を、どうにかして伝えないといけないと覚悟を決めて、お手紙を読ませていただきました。


20140412_181537.jpg


20140412_181648.jpg


まさか、こんなに仕合せなお手紙をいただけるなんて・・・。

言葉に出来ない想いでいっぱいになり、どうお返事を書こうか、わたしも、本当にうまく表現できずにいます。

某町に、偶然知り合いの方が住んでいらして、その方はご自宅が無事で、そのつながりからボランティアをさせていただきました。

たくさんのことを一緒に考えるきっかけを与えてくださった、町の住民のみなさまからのお声や、センターのスタッフさんからご指導をいただけたからこそ、埼玉県で竜巻や雪害被害が発生した時の災害ボランティア時に細やかな活動をすることに入り込むことが出来ました。

ただ、わたしが高校・大学時代の7年間、ボランティアとして、埼玉県の雪害地区の社会福祉協議会さんに育てていただいていたので、東日本大震災での災害・復興支援ボランティアで臨機応変で住民のみなさんの声を一番大切にする下地が自然と出来ていたのだとも感じます。


廻る


災害が起こった時に自分の経験や資格が役に立ってしまうことは、本当に望まないことなのですが。





なのかもしれないなと思っています。


良い時も悪い時も


いつでもどこでも


ご縁の 糸 を大切にして 心 で紡ぎ


細く長く みんなで 語り笑い合えたらいいな


と思います。


たくさんの方々の 心 が 花 のある毎日でありますように


お手紙の返事は、もう少し心が落ち着いたら綴ることにしまして。


でも、今、まさにこの楽曲のような気持ちなので、Youtubeのリンクをさせてください♪


(「糸」 岩崎宏美さんカバー 作詞作曲 中島みゆきさん・・・BANK BAND さんver.もあるのですが、今回は岩崎宏美さんver.で)


そして、T4がT4らしくあれるよう、GWの活動も邁進してきます!


20140328_025640.jpg






熊谷市竜巻災害ボランティア~ゼロか100かではない&自己実現の場でもないですよ~

土曜日は、相方くんが夜勤明けでの参加だったので、少しゆっくりめに社会福祉協議会(災害ボランティアセンター)さんに到着しました。

この日は、熊谷市の地域性の特徴とも言える。。。


市役所の有志のみなさん・消防の有志のみなさん・青年会有志のみなさんも、みんな、被害に遭われたお宅他でのボランティア活動に参加!!!


ベッドタウンではあり得ない、熊谷市独特な「町のみんなでやろう!」の日でした。


わたしたちはゆっくり目に到着したのと、相方くん両親の在宅介護課題の相談を社会福祉協議会さんと継続していたので。

ニーズがあればボランティア活動に参加して、なければ、相方くん両親の相談でいいよねー位の気持ちで伺いました。

熊谷市在住のたくさんのボランティアさんたちは、ニーズに呼応して出発された後でした。

わたしたちが到着した少し前に、ボランティアに参加しようと熊谷市外の小さな仲良しグループさんが来ていました。

ただ、ニーズマッチが難しかったようで待機になっていたんですね。

わたしと相方くんは、その様子を見ていたので、ニーズがなければ、義父母の在宅介護の相談をお願いします!と申し出たのですが。


災害ボランティア担当の方々から「ニーズ、あります!」と(^_^;)


ん???

待機になっていた方々のプライド、大丈夫かなぁと心配しました。

まぁ、なるようにしかならないかー・・・と。


わたし・相方くん・待機になっていた方々のうち2名の計4名で、被害に遭われたお宅にお伺いしました。

もちろん、最初の案内は、災害ボランティア担当の方も一緒です。


2階建て一軒家で広いお庭もあるお宅。


の前の道路で、ワンちゃんを連れた恰幅の良いお母さんと、品のよい華奢なお母さんがお話をされていました。

わたしは、ワンちゃんがかわいくて、おもわず「ボランティアに来ました~!ワンちゃんかわいい!!!」と(^_^;)

恰幅の良いお母さんは、ワンちゃんを褒められてちょっと嬉しそうにして。


「若者なんだから、ボランティア、一生懸命やりなさいよ!!!頑張りな!!!」


と大らかにカンカンの太陽みたいに笑って発破をかけてくださいました☆


ワンちゃんと遊びたい気持ちを抑えて「はぁ~い♪」。


ところがです。


市外在住の仲良しグループさんのうち2名の方々の空気が一瞬にして凍り、集中力がプツンと切れてしまったことがわかりました。


「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ!?」「そんな言い方しなくてもいいのに!!!」


そんなところでした。

田舎町でのご近所付き合いや、年配者とのコミュニケーションに全く慣れていないのだなという様子がうかがえました。


ボランティアをお願いしたいと申請されたお母さんは、品の良い華奢なお母さんでした。

災害ボランティアセンターには「家の1階と庭のガラス撤去」を依頼されていました。

門や玄関のあたりも、お庭もガラスが非常に多く飛散していましたが。

お家の1階を見せていただくと。

ガラス飛散よりも。


山盛のコードが非常にシステマチックになっている→音響セット


が、目に入りました。


これ・・・。

お母さんのご趣味ではなさそうだよね。。。

お母さんの旦那様か、息子さんとかのご趣味だと思われるのですが、旦那様も息子さんもいらっしゃいません。

このシステマチックぶりからして、相当大切にされてきたのがわかるので、コードや音響セットを動かしたりバラしたりしながらガラス撤去をしてよいものかどうか迷いましたが。

でも、旦那様か息子さんも、いずれにしたって、セットを動かしたりバラしたりしないとガラス撤去とか出来ないよねと判断。

相方くんなら、特に指示しなくても、大切にしながら&お母さんとコミュニケーションを取りながら、グループ2名の内1名のメンズさんと一緒に活動してくれるだろうと思って。

まぁ、T4ならではなのかもしれませんが、信頼という名の「放置」なんですが(笑)。


わたしは、グループ2名の内1名の女性の方と一緒に、門からお庭にかけてのガラス撤去へ回りました。

2階建て一軒家の1階の掃出し窓が、竜巻の通り道になってしまっていました。

広いお庭は、雑草が背高く伸びていて、パッと見は、大きなガラス片しか見えません。

どうしようかなーと思いながら、まずは大物さんから撤去していきながら様子を感じていると。


品が良く華奢で日傘をさし、熱い中長袖のTシャツにパンツルックのお母さんが、庭や屋内で活動するわたしたちを見ながら、庭のかなり隅のほうで鍬をかいていました。

お母さんは、庭の隅のガラスを鍬で集めたいのかな?と思い、ガラス片を集めながらもっと空気を感じていると。


違う。


お母さん、わたしたちやお家の方向を見ながら、左手で鍬を2~3回引いては止まるんですね。

ガラス片を集めようと鍬を引いているわけではなく、鍬で地面をさすっているだけ。

完全に、心ここにあらず。

いきなり見ず知らずのボランティアさんが来てどうなるのか不安が強いのかな?とも思いましたが。

何かありそうだと判断して。


お宅の音響セット、すごいですね~♪から始めてみました。


音響セットは息子さんの趣味だとのこと。


この大きなお宅には息子さんだけが住んでいたのだが、その息子さんは海外赴任で今は日本にいないとのこと。

来週、息子さんが一時帰国したら、お宅の2階の片付けなどをさせよるとのこと。


2階ね、2階・・・複数の窓には、ガムテで×が大きく貼られていて、割れないよう補強されていました。


2階の窓は、お母さんがされたんですか?と尋ねてみると、近所のみなさんがやってくださったとのこと。

近所のみなさんが、これだけ助けてくれたのに、家族が何もしないのは申し訳が立たないから、息子さんに一時帰国してもらうようにしたのだそうです。


田舎町特有ですね。


しかしながら、ちょっと気になるのは。

この大きなお宅に、息子さんが1人で暮らしていたということ。

近所の方々と一緒にお母さんも2階をどうこうしたわけではなさそうなこと。

来週、一時帰国する息子さんが、どれ位の期間滞在して片付けを出来るのかが見えないこと。


お母さんは、近所に住んでいて、竜巻被害に遭ったことも、近所の方から教えてもらって慌てて飛んできたとのことだったんですね。


息子さん、海外にいるなんて、すごいですねー☆


ゆったりお話をしてみようと思いました。


ご一家は、お父さんのお仕事の海外赴任の関係で、世界のあちこちで生活をされていたのだそうです。

お母さんも英語がペラペラなのではなく、特に、アメリカ西海岸カリフォルニア州で暮らしていた時は、自分たちと同じような日本人仲間さんたちがたくさんいて。

日本人の奥さん同士で、パッリワークやキルトをたくさん楽しんでいたので日本語だけで十分だったのだそうです。

パッチワークやキルト仲間さんたちと一緒に、困っている方たちなどのために寄付をしたり、キルト会を開くボランティアを長年されていたのだそうです。

それはそれは充実して輝いた日々を過ごされていたとのこと。

ところが、お父さんの身体の状況が良くなくなって病院にかかることになったのですが。

日本語でさえ難しい医療専門用語の英語は、お父さんもお母さんもよく理解できず。

日本に帰国して病院にかかってみると。


あんなことになってしまって・・・


と、お母さんがおっしゃっていました。

お父さんを見送られたあと、お母さんはリウマチを発症されてしまったのだそうです。


なるほど。

だから、竜巻被害に遭ったお宅の2階も近所の方々に助けていただいて、お庭や1階のガラス片の撤去もボランティアさんにお願いをしているわけかぁ。

鍬で地面を2~3回さするのでさえ、かなり痛むのではないかと考えられました。


すると。

そんなどころの騒ぎではなかったんですね。


痛みと筋肉の可動域が狭くなっている関係で、首を横に動かしたくても動かせない・・・横を見てお話出来なくてごめんなさいねと(;_:)

極端にやると気を遣われるだろうと思って、義父の病気のことやかかっている病院など地域性も踏まえたお話をしながら、気付かれない程度に少ぉしずつお母さんの視界にわたしが入れるようにジリジリ動いて。

お母さんと、楽しかった時のお話も、辛かった時のお話も、今のお話も、たくさんキャッチボールしたら。


おそらく、あまりこういった状況にはならないと思うのですが。


長袖Tシャツと布手袋で隠していた右手を、手袋を取って見せてくれたのですね。


ほんの数秒のことでした。


かなりの変形と拘縮がみられました。


パンツをはいているけれど、膝もかなり痛くて曲げられないのだと。


さて。

この状況で、1階とお庭の「見える部分」のガラス片撤去だけで終わるのは、帰国されお疲れでショックも大きいであろう息子さんにとっても好ましいことではありません。

しかし。

ご近所さんに助けていただき、「こういうことは身内や親族でやるのが筋。その後、ご近所同士で助け合う」という田舎町独特の習慣がある中で。

全てをボランティアがやってしまっては。

ご近所さんの手前、お母さんは、余計な気を遣うばかりになって暮らしにくくなってしまいます。

同情して全てをやることは簡単ですし、息子さんにとっては大きな負担がかからず、一見、良いことづくめのように思えますが。

果たして、その先に待っている「暮らし」が最高のものになるのか???

と考えると、全てをボランティアさんがやることが決して良いことでもないケースがあることがわかります。

遠く離れた国で暮らす息子さんが、せっかく一時帰国してくださるならば。

息子さんにも、少しでも状況を目で見て心で感じてもらうことが、一人、病気と付き合いながら日本で暮らすお母さんのためにも良いと感じました。


災害被害の辛さとかを一緒に語り合ったり、共に感じることでお互いを労りあえたり、そういった家族や親族間のコミュニティの芽をボランティアが摘んでしまってはいけないのですね。


ゼロか100かではない


先日訪れたお宅のように、ボランティアが35の支援をすればよいケースもあります。


今回のお宅では、まず、この伸びきってしまった大量の雑草がガラス片を見えなくさせていて、息子さんが状況もよく分からずに帰ってきたときに怪我をしてしまう危険を回避させることにしました。

お母さんも、病気を抱えているので、転倒してしまった時などに怪我をしてしまってもいけない。


1階チームにも声をかけて、工夫&配慮ある活動を依頼しました。


鎌を持ってきていたので、庭の草むしり・草刈をしてみると。

やはり、続々と大物のガラス片が現れました。

中には、土に刺さってしまっている物も多く。

草で見えなかったのですが、このお宅ではないお宅から飛散していた瓦も多く。

土嚢袋は余裕を持って預かっていたので。

先日、地元民Sおじちゃまが教えてくれた通りに、廃棄物は分別していきました。


最初に、恰幅の良いおばちゃまから発破をかけられてモチベーションが下がってしまっていたメンズの方は「なんでここまでやらないといけないんだ」という感満載でした。

お母さんがご病気なのはわかるけれども。

ガラスを撤去したのだから次の現場に移りたいオーラ満載で。


ゆとりかーーーぃ???

指示されたこと以外やりたくないって、どーなんだ???

自分が相手の立場だったらと考えてボランティアに来たのではないのかな???

別に、100やろうよとは言ってないしねーーー。

もう、放置させていただきまして。


わたしと相方くんで、庭に転がっていた網戸の解体を始めました。

解体と言っても、Sおじちゃまが教えてくれた解体は、本当に簡単!!!

廃棄物の分別問題があるので、そこさえクリアになればOKなのです。

細かくする必要はナシ♪

やり方にコツはいるのですが(^_^;)


郷に入りては郷に従え


先日、地元民Sおじちゃまと活動をご一緒しなかったら、ここまで出来なかったと思いますし、熊谷市のルールに沿うことも出来なかったので、本当にSおじちゃまに感謝です。

休憩を含めて2時間ほどで、ここまでの作業が終了。


お母さんは「今までは自分がボランティアする側だったのに、こんなことになってしまうなんて・・・本当にごめんなさい」と大泣きされていました。


竜巻があってから今まで、ご近所さんへの気遣いや、息子さんへの一時帰国依頼などで、泣く時間がなかったのかもしれませんね。

泣いている理由とごめんなさいが、すごく気になったので。


こういうことって、巡り巡ってくるものだから、お母さんは自分を責めないでくださいね。

ボランティアをされてきたからこそ、困った時はお互い様に出逢えているから、お母さんがされてきたことが今に繋がってるんですよ~☆

息子さんが帰ってくるまで、あともう少しだから♪

と声をかけてお別れしました。


被災された方に泣いて感謝していただければ「良いことをした」わけではないんですよね。

泣く・・・ということは、実は非常にパワーを使うし、後々、その涙から立ち直れなくなってしまったりします。

次への希望を、いかに気付いてもらえるようにするのか。

次への希望があれば・次への希望に気付けば、ドーンと落ちてしまった気持ちを涙で消化することも出来ることがあります。


いろんな災害ボランティアをする時に、共通して感じることは。


何を言われても・されても、心折れないタフさと覚悟を持ってボランティアに入ること


楽しいことなんて待っていてもないよ、だって「災害」のボランティアなんだから


「災害」のボランティアに入る時に、自己実現や達成感、満足感を求めるのは、土台おかしな話です。

みんな辛い想いをしている被災地は、ボランティア自身の自己実現や達成感、満足感を得るために存在しているのではありません。

100やってもなお足りないことがあれば120でやり、100やりたくても空気を感じて35や65で引く。

「災害」のボランティアって、状況や各市町村のルール、住んでいる方々の気持ちに。


ただただひたすらに流されること


が一番大切なんじゃないかなと思います。


気持ち悪いですよね(^_^;)

白か黒かハッキリしない。

自分が主役とかでもないように感じてしまう(これは大きな誤解で、下支え役の主役なんですよね、誰もが)。

マスコミとかで称賛されるわけでもなく、困った時はお互い様のことをしているだけだから誰からも褒められない(かもしれない?)。

でも、そのグレーとか、35、65、時には120に自分が変幻自在にカメレオンになれないのであれば。

「災害」のボランティアだけをするのではなくて、他に数多あるボランティアにも参加してみるのもいいのかなと感じます。

必ずしも、被災されたみなさん全員が、今すぐ今すぐ被害に遭ったお家などを元通りにしてほしいというわけでもないので。

そんなことを感じた1日でした。
GO TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。